今月の
特集

2025.9.1
相手? 自分?
幸せをつかむカギはどこにある!?
家族や友達、同僚、ご近所さん……。
私たちは、日々、誰かと関わって生きている。
自分の夢や希望を実現したいとき。
悩みや問題を解決したいとき。
幸せをつかむカギを握っているのは、相手?
それとも、自分―?
CASE.01
| 仕事・お金・ブランド―
全部あっても、幸せじゃなかった

奥原安希子さん 東京都 38歳
もっとキラキラした人生を送っているはずだったのに! なんで私は幸せになっていないの!? 奥原安希子さんは、大学を卒業し、安定した職場で働いていた20代の頃、やり場のない思いを抱えていたという。そこからどうやって幸せをつかむことができたのか。彼女のこれまでの道のりを辿(たど)っていく。
「私は香川県で生まれ育ちました。公務員の父と、母、兄、姉、私の5人家族です。若い頃に父が霊友会に入会したことで、私たちも教えにつながりました。私は元々、勉強も運動も苦手で、何をするにも自信がない人間でしたが、中学校では生徒会に立候補し、高校受験も必死で頑張りました。何とか合格したいという神頼み的な気持ちではあったけど、初めて真剣にお経をあげるようになったのもその時期でした。
高校でも、遊びたい気持ちは封印。将来のことを考えて、ひたすら勉強に集中しました。おかげで成績はどんどん上がり、希望する大学に授業料免除で入学。大学卒業後は、地元の農協に就職しました。いい大学を出て、安定した職に就けた。後はいい人を見つければ私の人生はバラ色だ! そう信じて疑わなかったんです」。
| 相手に求め、モノを求め、
それでも心が満たされずに…
奥原さんの順風満帆な未来を阻(はば)んだもの。それは他でもない、彼女自身が築き上げてきたプライドだった。
「私は誰よりも努力してきた。私はできる。その自負が、社会人として働き始める頃にはすっかり悪い方に出ていたんです。仕事量が多く、残業が当たり前の毎日の中、どんなに仕事が捗(はかど)らなくても、上司に怒られても、“私は悪くない。反省しないといけないのは私ではなくまわりの人たちだ”。さらには、ある後輩を職場で平然と「ゴリラ」呼ばわりし、少しでもミスをすると小バカにする。そんなパワハラまがいのこともしていたんです。
お金の使い方も荒く、休日に大阪や東京まで行ってハイブランドの洋服を買い漁(あさ)る。美容にもお金をかける。必死に自分を磨いても、私に声をかけてくるのはロクでもない男ばかり。同級生たちは素敵な彼氏を見つけ、結婚した子もいるのに、私は一体何をやっているんだろう―。
家族には弱音を吐きたくないし、つどいに行くといろんな人から「最近仕事はどう?」「いい人いないの?」と聞かれる。私のことを心配してくれるのもしんどい。いっそ地元から抜け出して、華やかな都会で人生をやり直したい。そう思うようになっていました」。
そんな奥原さんの転機になったのが、26歳のとき、姉の育代さんに誘われて、「青年の弥勒山セミナー」の運営者にトライしたことだった。
「それまで弥勒山には年1回、何となく参加しているだけでしたが、運営者の人たちはいつも輝いて見えて、密かに憧れていたんです。実際にその輪に飛び込んでみると、みんな自分をさらけ出して、どんな壁にぶつかっても自分自身の修行ととらえ、少しでも人生を良くしていこうと頑張っていました。
そんな明るく前向きな仲間の姿にふれ、私もみんなのようになりたいと、まわりの人に霊友会の教えを伝えるようになりました。断られることが多かったけれど、経行に取り組み、教えを伝えようと思って話をすると、不思議と相手への伝え方、そこに至る日々の態度や言動ってどうだったんだろうと、自分を振り返ることが増えていきました」。
物事が自分の思い通りにいかないとき、人は誰しもその原因をまわりに求めてしまいがちだ。確かに気持ちは楽だが、状況は好転しないだろう。むしろ、そのベクトルが〝自分〟に向き始めたとき、歯車がかみ合い、未来は動き出す。
奥原さんの人生も、そうして変わり始めた。お経をあげて自分を振り返り、つどいや弥勒山で、その時々の自分の思いを仲間と語り合う。そこで得た〝気づき〟を〝行い〟に変えようと努力する。そうする中で、職場の人たちに対しても、いつのまにか、柔らかく接することができるようになっていったという。
そして、31歳のとき、弥勒山の運営者仲間として、後の夫・優太さん(41歳)と出会った。
| これは私の縁なんだ。
そう思って行動を起こせば、なんだって乗り越えられる
「とにかくいつもタバコ臭くて、夫の第一印象は最悪。『そんなタバコ臭くて、弥勒山の参加者に笑顔になってもらおうとする運営者が務まるんですか?』と、最初は彼に怒っていましたね(笑)。でも、関わってみると、夫は人のために積極的に動ける人で、弥勒山のプログラムで使用するための映像が作れなくて困っていた私を手伝ってくれたりと、いろんな面で助けてくれたんです。
私はだんだん彼に惹(ひ)かれていき、その年の11月、交際4カ月で結婚。私が香川を出て、彼が住んでいた東京での新婚生活がスタートしました。
健康面も気にして、タバコは結婚してすぐ辞めてくれましたが、それより大変だったのがお酒。夫は無類のお酒好きで、毎日浴びるように飲むんです。さらに、夫の友人たちもみんな大酒飲み。彼らを家に呼んでは毎回遅くまで飲み明かして……一滴も飲めない私には理解不能でした。
東京に来て始めた仕事も忙しいのに、夫にペースを乱されてばかり。理想の結婚生活からは程遠く、こんなハズじゃなかったのにと、悩みました。そんなとき、夫の母親である石塚支部長からアドバイスされたのが、「自分がやるべき修行をやりなさい」ということ。その中の1つが、縁のある人に霊友会の教えを伝えることでした。私はすがるような気持ちで、香川にいる友達をはじめ、東京で出会った人、夫の友人たち……。積極的に教えを伝えていきました。
また、支部長は、『ごめんね、こんな息子で』『酔っ払って手に負えなかったら、ダンボールに入れて粗大ごみに出せばいいから!』と笑い飛ばしながら、こんな言葉もかけてくれました。『でもさ、安希子の修行だからさ』と。その言葉がなぜかスッと胸に入ってきたんですよね。
夫と出会ったのは私の縁なんだ。誰かのせいにしても変わらない。それよりも、自分を変えるために、自分がすべきことにフォーカスして、小さなことからでもいいから行動を起こす。そういうことを続けていると、不思議と、夫への不満も抱かなくなっていったんですよね。そして、行動を起こした分だけ、うれしいことも増えました。
一昨年、香川の実家の近くに住む兄夫婦に、久しぶりに会いに行ったときのことです。小学生の長男が不登校になっていることを、そこで初めて知ったんです。夫婦の会話も少なく、家庭の雰囲気が良くないことも……。きょうだいなのにまったく知りませんでした。
申し訳なかったな。何とか力になりたい。何かのきっかけになればと、「久しぶりに弥勒山に行こうよ」と兄を誘いました。その年の9月、兄は7年振りとなる弥勒山に、奥さんと息子を連れて家族で参加したんです。いろんな人とふれ合って、家族みんな、何かしら気持ちに変化が生まれたようです。弥勒山から帰ると、甥は学校に行けるようになり、夫婦の会話も増えて、家の中が明るくなったって言うんです。本当にうれしかった」。
奥原夫婦は、結婚以来、自宅でのつどいを毎月続けている。2人の会員や友人だけでなく、東京に住んでいる同じ支部の仲間にも声をかけて。みんなでお経をあげて、お互いの近況を話す。人とふれ合って、自分を振り返り、明日からまた頑張ろうと一歩踏み出せる場を、必ず毎月開こうと決めているそうだ。

毎月、自宅で開いているつどい。お経をあげた後、自由にいろんなことを話す
その中で、優太さんにもある変化があった。本人がこう語る。
「昨年、長野に住むいとこに霊友会の教えを伝えにいったんです。私の家系なんで、彼も相当な酒飲み。でも、家族がドン引きしている様子とか、家族にいろんな問題が起きているのを目(ま)の当たりにして……。私は今まで、人と話すときは酒を酌(く)み交わしてなんぼでしょって思っていたんですけど、自分もこんなに酷(ひど)かったのかと。彼とその家族に幸せになってもらうために、真剣に霊友会の教えを伝えようと思ったら、酒なんか飲んでいられないなって。一緒に幸せになっていこうと彼を導き、いろんな話をしていく中で、私は不思議と、お酒をやめることができました。人のために動く。それが、自分を変えていく力になるんだなと実感したんです」。
香川で過ごした20代半ばの頃に思い描いた、キラキラした東京での生活とは違う。だけど、「幸せだって胸をはれます」と、奥原さんは言う。
「高価な物なんて必要ない。両家の家族が健康で、会員も、友人たちも、みんなが笑顔でいられるのが一番の幸せだと思うようになりました。夫婦で何か問題があっても、相手を責めるのではなく、自分を改め、人を思って動くことで未来を切り拓いていける。今、そう実感しています。たくさんの家族が幸せになれるよう、夫婦で力を合わせて頑張ります」。

これからも二人三脚で歩んでいく
CASE.02
| 相手じゃない。自分が変われば道は拓く

岡田 茂さん 大阪府 36歳 岡田 裕美さん 大阪府 33歳 N.Aさん 大阪府 38歳
今は幸せだと感じていても、いつまでもそれが続くかどうかは誰にも分からない。特に、相手の人生も密接に関わってくる夫婦関係においては、注意が必要だ。大阪府に住む岡田裕美さんは、一昨年の11月まで、多少の不満はあっても順風満帆。幸せな毎日を送っていた。
「京都で生まれた私は、何不自由なく成長してきました。4歳からピアノを始め、思春期にはピアノにかける情熱が母とズレて悶々(もんもん)としたことはありましたが、大学は音楽科に進学。卒業後は一般企業に就職しました。
霊友会には、私が小学校4年のとき、同居していた祖父が亡くなったことをきっかけに母が入会。私も母に連れられてつどいや弥勒山に行くようになりました。たくさんの仲間や先輩たちに囲まれ、時には母への不満を受け止めてもらうことも……。
霊友会活動を通じて夫と出会い、27歳で結婚。夫の地元である大阪に新居を構え、娘も生まれました。平凡ながら幸せに暮らしていたんです。ですが、夫が職場で異動になったことを機に、勤務形態が激変。上司ともそりが合わず、見るからに疲れて帰ってくるようになったんです」。
当時のことを、夫の茂さんが振り返る。
「それまでと全く違う業務を担うことになったんです。しかも大きなプロジェクトが進行中で、残業も当たり前。また、すごく仕事のできる上司だったんですけど、自分にも他人にも厳しいタイプで、満足のいく結果が残せず厳しく叱責されることもありました。こっちは異動したばかりなのに……と不満は募るばかり。肉体的にも、精神的にも追い詰められていきました」。
そんな状態を少しでもいい方向に向けたいと、裕美さんと茂さんは、あらためて霊友会の教えに向き合うことになる。裕美さんがその心境を語る。
「これまでもそれなりに教えを実践してきましたけど、どこか義務感というか……。求めてやる気持ちは、あまりありませんでした。でも、夫のしんどそうな姿を目の当たりにして、この辛さを何とかしてあげたい。私は何を変えなければいけないのか教えていただきたいと決意。夫婦で昨年の寒行に臨みました」。
ここでターニングポイントになったのが、問題解決の道を自分自身に求めたことだ。霊友会では、〝自分を見つめ直し、悪い部分を改めていく〟ことでまわりも良くしていくことを大切にしている。子どもの頃から教えにふれてきた裕美さん夫妻にとって、自然な感覚だった。
| 捉え方ひとつでこうも変わるのか
「そうやって寒行に取り組む中で、音信不通だった、夫の中学時代の友人Aさんから突然連絡があったんです。話したいことがあるから会いたいと。それで連絡があった2日後、夫が会いに行きました」。
茂さんによると、Aさんは中学時代、クラスの中心的な存在で、勉強も運動も得意な優等生。一方で、茂さん自身は中学時代、2年ほど不登校だった過去がある。
「Aさんから、実は精神的な病を患っていると聞かされました。母親との関係も悪く、医師の判断で別々に暮らしているとのこと。彼が幼い頃にご両親が離婚し、女手一つで育てられたと聞いています。そんな母親とうまくいかないなんて……。後日、改めて家に来てもらい、夫婦で教えを伝えました。
そのときに彼が言ってくれたのが、『君は中学校に来てなかったけど、今は仕事もして、結婚もして、子供もいるって共通の友達から聞いて、何かしているのかなと思ってた』ということ。そして、『俺も先祖供養がしたい』と、その場で入会し、青経巻も一緒にあげることができました」。
そんなAさんとのやり取りを通じて、茂さんは「心境に変化が起きてきた」と話す。
「今の自分があるのは当たり前じゃないんだなって思いました。ぼくは支部の仲間をはじめ、たくさんの人の支えがあって立ち直ることができ、家族にも恵まれて幸せに暮らせていました。そのことに心から感謝できたんです。そうしたら、父も大変な思いをしながら働いてくれていたんだなっていう気持ちも湧いてきましたし、家族のためにも逃げないで頑張ろうって思えた。上司にも不満ばかりでしたけど、そうやって前向きになれたら、捉え方が変わってきました。何か言われるたびに、自分のことを理解してくれないって腹が立ってたのに、ホントはぼくたちが持つべき視点や達成すべき課題を教えてくれてたんだ。そう思えたら、熱くていい人だってなったんです。仕事もうまく回るようになりました。
今年の4月に新たな部署に異動したんですけど、そのときに誰よりも高評価で送り出してくれたのがその上司。相手は変わってないんですけど、こちらの捉え方ひとつでこうも変わるのかって体験しました」。

夫婦で支えあい、力を合わせて幸せな未来を築いていく
この発言に裕美さんも頷(うなず)く。
「毎日大変な仕事環境の中、休まずに仕事に行ってくれていることは当たり前じゃなかった。初めてそう思えました。〝行ってらっしゃい〟はできるだけ笑顔で送り、夫が出て行ったら、今日も命をいただき、元気に仕事に行ってもらってありがとうございますと、玄関先で頭を下げるようになりました。
それだけじゃありません。夫婦で修行に入ったとき、いつもお世話になっている支部長から親不孝だと言っていただいたことがあって。私は親不孝なんてしていないって思ってたけど、父が欲しい車を諦めてピアノを買ってくれたこと、大学の音楽科まで出してもらったのに別の道に進んだこと……。ホントにそうだなって痛感したんです。すべてに感謝がなく、当たり前だと思って生きてきたことを、本当に申し訳なく思いました。
夫が体験したように、私が親不孝に気づいたように、Aさんにも親子関係を修復してもらいたい。Aさんの体調の問題もあってスムーズにはいきませんが、その気持ちでAさんと夫婦で関わっているところです」。
| 「変われるよ」。その言葉が引っかかって…
そんな裕美さんが今、力を入れているのがヤングミセスの活動だ。自分が起点になって家庭を良くしていくママ友の輪を広げようと、日々、同じ支部だけでなく、近所に住む会員にも協力してもらいながら、縁ある人に声をかけている。
その中で昨年11月、新たに仲間に加わったのがN.Aさんだ。Nさんにその経緯を聞いてみると……。
「初めて会ったのは5年ほど前。ベビースイミング教室で出会いました。最初は挨拶をするくらいの関係でしたけど、裕美ちゃんがランチに誘ってくれたことで仲良くなりました。子どもが教室を卒業したことで会わない時期もありましたけど、また彼女からお誘いがあって、定期的に会うようになったんです。裕美ちゃんは会うたびに霊友会の話をしてくるんです(笑)。私は『先祖供養はいいことだと思うけど、そういう団体に所属するのはちょっと……』と、断ってばかりでした。誘われるのが分かってるから距離を置こうと思う一方、彼女と会うと波長が合うのか、なぜか楽しいんです。それに『変われるよ』っていう言葉が、私の中で引っかかっていて。でも、私の中で入会のきっかけになったのは、2人目を流産したことでした」。
裕美さんも当時を振り返る。
「つどいに来てもらったこともあったんですけど、いい返事はもらえずじまい。だけど、お経をあげていたら彼女のことが気になるんです。それでしつこく(笑)声をかけました。その中で、2人目を妊娠したと聞いたんです。実は彼女の上の子は手に障がいを持っていて、2人目を授かったことの不安な気持ちを話してくれました。それで、どんな形であっても親孝行してくれる子で生まれてくるように一緒にやろうって話をしたんです」。
残念ながら流産という結果を迎えてしまったが、Nさんを教えにつなぎとめたのは、「変われる」という言葉だった。
「最初こそ健康的な子どもを授かりますように、とご先祖様にお願いするような感じでした。でも、正直なところ、1人だけでもこれだけ手がかかるのに2人なんて無理!っていう気持ちもあったんです。そんな私じゃいけないな。弱気で、器の小さい自分を変えたい。そう思って真剣に教えに取り組むようになりました」。
毎日お経をあげ、つどいに参加する。Nさんは、その中で見えてきたものがあると言う。
「ケンカもしないけど、めっちゃ仲良いわけでもない。そんな夫婦関係だったんですけど、それじゃいけないなって思いました。私は元々口下手なタイプで、自分の感情を抱え込むタイプ。子育てでイライラしてもうまくそれを他人に伝えられませんでした。でもつどいに行けば、こんな私の下手な話をじっくり聞いてもらえる。みんなに会えば気持ちがすっきりして前向きになれる。楽な気持ちで毎日を過ごせるようにもなってきていて、浮き沈みの激しかった性格もちょっとは変われたのかなって。長男のためにも、もっともっと良い家庭を築いていきたいなって思います。断り続けてもあきらめなかった裕美ちゃんに本当に感謝です」。
裕美さんも決意を新たにしている。
「自分は間違ってない、相手が悪い。そう捉えていたら、どんなに恵まれた環境にいても不平・不満が出てしまうし、何も解決できないと思うんです。相手じゃなく、自分を変えることで家庭を、まわりを良くしていく仲間の輪を広げたい。今あることに感謝の気持ちを忘れず、夫や会員のみんなと力を合わせて頑張ります」。

辻本教子支部長(後列右)、辻本歩美支部長(前列右)、裕美さんの母親(後列左)と一緒に岡田家の前で
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