今月の
特集

2019.9.30

change! いつもそばにあなたがいた

悩んだとき、壁にぶつかったとき、ひとりではどうしようもなかった。前を向いて、立ち上がれたとき、いつもそばに誰かがいた―――。人は人によって可能性が広がる。人生がもっと輝く。

そんなエピソードを集めました

  1. ■Episode①――― 本音を受けとめ合う関係っていいな
    友達に嫌われて、ひとりぼっちになりたくない。イヤな空気になるくらいなら、ぶつからないほうがいい…続きを読む(20 代・女性)
  2. ■Episode②――― 自分のことを気にかけてくれる。その気持ちが何より嬉しかった。
    誰でも気楽に参加できる、様々な人とふれあいながら元気になれる場をつくりたい。…続きを読む(20 代・男性)
  3. ■Episode③――― 私って寂しかったんだ。
    中学生になって髪を染め、バイクを乗り回し、不良になった私。…続きを読む(20 代・女性)
  4. ■Episode④――― 一人で生きてきたと思っていた私を育ててくれたのは・・・
    私には、家族との楽しい思い出がありません。父は仕事で毎日帰りが遅く、週末は遊びに出掛ける。…続きを読む(30 代・女性)

①本音を受けとめ合う関係っていいな

友達に嫌われて、ひとりぼっちになりたくない。イヤな空気になるくらいなら、ぶつからないほうがいい。高校生時代までの私は、本当の気持ちを出せずにいました。友達に誘われたら、どんなに気が進まなくても遊びに行く。イヤなことをされても、無理して笑う。周りに合わせていくうちに疲れてしまって、泣きながら母に相談したこともありました。

専門学校に入学した2年前、霊友会で同年代の友達ができて、一緒に遊びに行くようになりました。わいわい楽しく過ごしながら、悩みや思っていることを何でも話し合う。中には、こんなことまで言っちゃっていいの?ってハラハラするぐらい、ストレートに自分の意見や悩みを話す人も! 本音を受けとめ合うみんなの姿を見ていると、私も家族や学校の友達のこと、将来のことを話してみようって思うようになったんです。

上辺だけじゃなくて、深いところでつながる関係っていいな。学校の友達にも、自分を出せたらもっと楽しくなるかもしれない。そう感じて、少しずつその時々の思いや考えを話すようにしました。「そんなこと思ってたんだ」と受けとめてもらえたときは、すごく嬉しかったです。友達ともっと深い仲になれたように感じました。

今、私は自信をもって人と関われているなと感じています。将来の夢は歯科衛生士。患者さんにほっとしてもらえるように、優しく話しかけていきたい。これからも積極的に人と関わって、夢を実現させたいです。(20 代・女性)

②自分のことを気にかけてくれる。
その気持ちが何より嬉しかった

誰でも気楽に参加できる、様々な人とふれあいながら元気になれる場をつくりたい。そんな気持ちで今、青年部の仲間と行事の企画・運営に携わっています。以前は悩み事が多く、人を思う余裕がなかったぼくが前向きになれたのは、6年前の出会いがきっかけでした。

当時、自動車関係の仕事をしていたぼくは、日勤・夜勤の繰り返しで疲れ気味。離婚した両親の板挟みで悩んだり、奨学金の返済に追われて気落ちしていました。そんなとき、趣味を通じて知り合った先輩が「どうしたの」って声をかけてくれたんです。自分の状況を話すと、「先祖供養をするといいよ」と強く勧められて、そんなに言うならやってみようかなと入会しました。

つどいに参加してたくさんの人に話を聞いてもらううちに、だんだん心が軽くなってきました。一昨年の春に初めて参加した「青年の弥勒山セミナー」では、ぼくが転職で悩んでいることを支部の仲間が覚えていてくれて、転職経験のある青年と引き合わせてくれたんです。自分のことを気にかけてくれる、その気持ちが何より嬉しかった。悩んでばかりいないで何か行動しようと思いました。

一昨年の7月、新しい就職先に巡り合えました。お経をあげるようになって気持ちも落ち着き、今、毎日が楽しいです。距離を置いていた親とも向き合えるようになってきました。

自分を変えるきっかけをくれたみんなのように、今度はぼくが周りに良い影響を与えていきたいです。(20 代・男性)

③私って寂しかったんだ

中学生になって髪を染め、バイクを乗り回し、不良になった私。いじめられっ子など弱い子は守るものの、自分に逆らうギャルや不良は徹底してやりこめ、上下関係を築きました。自分は常に一番で、周りの人たちを従えるのが当たり前だと思っていたんです。

高校を卒業して社会に出ると、そんな生き方は通用しなくなりました。どうしたらいいのか悩んでいたとき、母に勧められて毎日お経をあげるようになりました。その中で少しずつ、自分の生き方を見つめ直すことになったんです。

親が築いてきたレールに乗り、何の苦労もなく生きてきたこと。親族が地元の名士だったから特別扱いされることが当然で、人を見下してばかり。相手を思う優しさもなく、本当の友達と呼べる仲間もいませんでした。

私って寂しかったんだ……。母に相談すると、「自分を変えたいなら、導きをしてみなさい」と言われたんです。それ、何の意味があるんだよって思ったけど、母は「やれば分かるから」と。そこまで言うならやってみるかと、ちょうど会う約束をしていた中学からの男友達に霊友会の話をしてみようと思いました。

彼に会った瞬間、びっくりしました。ひどく痩せこけていて、全く元気がない。どうしたのって聞いても彼は「何が? 普通に元気」としか答えません。仕方なく、当たり障りのない話を続けていました。でも、「自分を変えたいなら」と言う母の言葉が頭から離れなくて……。まずは自分のことを話してみようと、思いきって「私、孤独なんだよね」と彼に打ち明けました。本当は自分の弱味なんて話したくなかったし、どう思われるのかなって、すごくドキドキしました。彼はびっくりした顔をしていましたが、「俺もそう。話せる人がいないし、人間関係マジ分かんねえ」と返してくれて。さらに、「ぶっちゃけ、自殺しようと思っていた」と言ってきたんです。まさかそんなこと言われるなんて! 驚いたけど、彼が「今日、こういう話ができて、共感し合えたのが嬉しかった」と言ってくれたとき、私も本当に嬉しくなりました。

自分を頼ってくれる。すごく嬉しい

そんな彼に霊友会の話をすると、入会してくれました。ご飯が食べられず、眠れないと言う彼が良くなるようにと、次の日から私は念願を始めました。彼からも、しょっちゅう相談の電話がかかってくるようになりました。どう答えたらいいんだろうって悩みながらも、私ができることといえば、いつもそばにいること。自分に本音を話してくれる仲間、何でも言い合える仲間がいるって、本当に元気になれるんですね。こんな仲間の輪を、これからもっと広げていきたいです。(20代・女性)

 

④一人で生きてきたと思っていた
私を育ててくれたのは・・・

私には、家族との楽しい思い出がありません。父は仕事で毎日帰りが遅く、週末は遊びに出掛ける。母は夜、働きに出て家にいない。7歳上の姉、4歳上の兄ともあまり会話がありませんでした。

小学生の頃、私が家族全員分のご飯とみそ汁を作ると、いつも母が褒ほめてくれて、嬉しかった記憶があります。大変そうな母を助けてあげたい気持ちと、自分を見て欲しい気持ち。どちらも本心だったんだろうと思います。

しかし、私が小学4年のとき、母が亡くなってしまいました。父は転職し、早く帰宅してくれるようになりましたが、食卓を囲んでも、無言の時間が過ぎるだけ。母が褒めてくれた家事は、仕方なくこなすだけのものになりました。

辛いな、寂しいなという気持ちがあったと思いますが、人前では明るく振る舞いながら、どこか冷めた気持ちで日々を過ごしていました。どうせ可哀そうな子と思われているんだろうな。この場面ではこう言えば大人は喜ぶんだろう。面白いことなんかひとつもないのに、どうしてみんな生きているんだろう、と。さらに、アパートの5階の塀に登り、ここで風が吹いて落ちたら死ねるな、と考えたこともありました。

なんで私が感謝しないといけないの?

霊友会には、姉が中学1年のとき、同級生に誘われて入会していました。父は大反対でしたが、姉は、話を聞いてもらいに支部長の家によく行ったり、祖母に援助してもらって弥勒山にも参加していました。同世代の仲間も多く、姉にとっては楽しい居場所だったんだと思います。

私は、宗教に対する偏見があったし、霊友会大反対の父と姉との板挟みになるのが嫌で、苦痛でした。健気に頑張る姿をみんなから褒められる姉。それを支える妹という目で見られる息苦しさも感じました。でも、姉から誘われると断れず、つどいに行ったり、学生のときには弥勒山の運営者をしたことも。その中で、人の役に立とう、社会に貢献しようとする周りの姿から学ぶこともありました。

それでもやはり、「親やお姉ちゃんに感謝しないとね」と言われても腑に落ちない。姉と兄は大学へ通うにも車の免許を取るにも家族の援助があったのに、私は奨学金を借りて、免許も自分で取った。なんで私が感謝しないといけないの?と、ずっと不満だったんです。何か困ったら大人に頼ろうって考えが甘い。私は何でも自力でやってみせる。そう思い、就職で県外に出ると同時に、ますます気持ちが離れていきました。

初めて、自分のすべてをぶつけられた

社会に出てから数年。20代半ばで身体を壊し、仕事を辞めて地元に帰ってきた私に、ある男性との出会いが訪れます。

彼は、私がアルバイトを始めたコンビニの同僚。第一印象は軽い人だなと思ったんですが、話が面白く、一緒にいて飽きない。バイト仲間で一緒に遊びに行ったり、彼と過ごす時間が増えていくにつれ、その明るさに惹ひかれていきました。彼の方も好意をもってくれ、一気に距離が縮まったんです。

私は悩みました。実は、彼はバツイチで、昼夜のダブルワークをしながら子どもの養育費を払っていました。両親は離婚していて、障がいのある弟の面倒も見ていたんです。もし結婚しても、苦労するのは目に見えている。良い人だけど、ご縁じゃないなら離れようと思いました。

ちょうどその頃、姉に誘われて渋々、また霊友会の活動に参加していた私。彼に霊友会の話をし、「入会しない人とは付き合えない。結婚もできない」と伝え、彼が断れる理由をつくったんです。

ところが、彼は「オッケー、入会するわ!」と二つ返事。それから弥勒山にも一緒に参加し、あれよあれよという間に結婚に向けて話が進んでしまいました。

でも、私は元々、家族というものに良いイメージがないし、結婚相手なんて誰でもいいやと思っていました。彼の行動力は確かにすごいし、私を好きでいてくれるならまあいいかと、結婚。そして息子を授かり、無事に出産。何はともあれ、これから新しい人生を歩んでいける。そう期待していたのですが……。

夫が、他の女の子と親しくメールしたり、大丈夫なの?と心配になることがいっぱい起きたんです。どうにもやりきれない気持ちで姉に相談すると、「お経をあげて修行してみたら」と。なんで私が修行するの? 悪いのは夫なのに! そんな気持ちをぶつけるようにお経をあげていると、夫に対する怒りがどんどん膨らんでいきました。

その矢先、夫が女の子を連れてドライブ中に事故を起こしたんです。怒りは頂点に達しました。夫が帰宅するなり、すべてをぶつけた私。今思えば、夫に対して初めて感情をあらわにした瞬間でした。

この一件から、どこか仮面夫婦のようだった私たちの本当の修行が始まりました。夫も心を入れ替え、お互いに修行していく中で、息子がADHD(注意欠陥・多動性障がい)だと分かったんです。

一人で大きくなれる子なんていない!

保育園に通い始めた息子は、度々、友達とトラブルを起こしました。「蹴られた」「噛まれた」と、毎日のように親御さんからクレームが入る。私は、夫が悪い縁を引き寄せてきたに違いない。夫が悪いんだと自分に言い聞かせていました。そうでもしないと心を保てないほど、追い込まれていたんです。そしてとうとう、息子を責めました。「どうしてそんなことをするの」「どうして人の気持ちが分からないの」「人様に迷惑をかけないで」。息子の気持ちが理解できない苛立ちから、言っても仕方のないことだと分かっていても、言わずにいられなかった。本当に苦しい毎日でした。

それでも支部長や姉からは、「あなたが修行しなさい」と言われてしまう。到底、納得できません。できないけど、この状況を何とかしたくて、言われた通り、お経をあげたり、人に声をかけたりしていきました。

すると、保育園のママ友やバイト先の同僚、偶然出会う人の中にまで、「実は、うちも発達障がいなんです」という方が次々と出てきたんです。そのとき初めて、これは私の縁なのかもしれないと思い始めました。

そして、息子が年長になった年のこと。息子が手を出した友達の親御さんから、激しくお叱りを受けたんです。「どんなしつけをしているんだ」「みんな迷惑している。みんなの前で謝った方がいい」と。

もう、いつまでも誰かを責めていても何も変わらないんじゃないか。支部長から教わった通り、私自身が何かを変えなければ―。そう決心し、意を決して、保護者全員の前で、「申し訳ありませんでした」と土下座しました。

それから、私の中でいろんな感情が芽生えてきました。今まで、息子のためにこんなに必死になったことがあっただろうか。夫や息子を責めてばかりで、息子を守ろうとしていなかったんじゃないか。私の親も、こんな思いをしたことがあったのかな。一人で生きてきたと思っていたけど、一人で大きくなれる子なんていない。私だってそうじゃないか……と。

息子には、人の役に立つ、人に喜んでもらえるような人に育っていってほしい。そんな大らかな気持ちで接する自分に、ちゃんと愛してあげられるお母さんになりたい。そう思えるようになってきました。

それまでの私は、いい人、いい妻、いい母だと思われようと、自分を繕って生きてきた気がします。だから、誰と会ってもしんどかった。人の優しさも素直に受け取れなかった。私たち夫婦や、息子がどんな状況でも、いつも変わらず迎えてくれた支部の仲間たち。支部長や姉が、どんな思いで私に声をかけてくれていたんだろうか……。特に導きの親である姉に対しては、私ばかりが辛いかのような被害妄想だったと思います。そんな私を見捨てずに、父の大反対にもめげず修行し、ここまで引っ張ってくれた。今も母親のように私を見守ってくれることに、感謝しかありません。

今年、息子は小学生になりました。今は普通学級で頑張っています。かつては自由奔放だった夫も、すっかり変わりました。私たち家族を一番に思い、地元の青年のために本音で話す場をつくっています。私自身も、ママ友を導いて、少しずつですが、前に進めているのかなと思います。

二男、三男にも恵まれて、私たち夫婦は幸せです。これから、もっともっと力を合わせて、少しでも幸せな家庭が増えるよう、頑張っていきます。