今月の
特集

2021.5.31

人は変われる!
~不登校になった私の挑戦~。

人生には、いろんなハードルがある。ときには遠回りするのもいい。回れ右をしたっていい。でも、もしもあなたが、初めから挑戦するのを避けているとしたら…あきらめるのは、まだ早い。今月は、不登校になった青年たちの「挑戦」を紹介します。

    1. ■①— ひとりでつらい思いを抱えさせてしまったんだな【エピソード①】
      私は、学校での人間関係に悩み、高校1年生の秋から1年以上、不登校でした。…続きを読む
    2. ■②— 弥勒山で頑張れた。学校でも逃げずに立ち向かおう!【エピソード②】
      小学生の頃、原因も分からず無視されたり、蹴られたりと、いじめにあっていました。…続きを読む
    3. ■③— 学校へ行かなくなった私が人のために動くまで【体験談】
      中学生になってすぐ、学校に行かない、とMさんは心に決めた。…続きを読む

ひとりでつらい思いを
抱えさせてしまったんだな【エピソード①】

私は、学校での人間関係に悩み、高校1年生の秋から1年以上、不登校でした。当時は学校へ行く気力をすっかり無くしていたんです。

転機は、2年生の終わり頃に参加した「青年の弥勒山セミナー」でした。ある先輩が、私のつらい思いを全部受けとめてくれて、「頑張ってきたんだね」と言ってくれたんです。学生生活で挫折し、なんて駄目な人間なんだと自分を責めていた私にとって、こんな私でもいいんだって思えるすごくうれしい言葉でした。立ち止まっていないで前に進もう!と力が湧いてきたんです。

その春から編入した高校では、友達もでき、ほとんど休まず通うことができました。そして、あの先輩にまた会いたいと思って弥勒山やつどいに参加するうちに、本気で人を思い、行動している同年代の仲間に刺激を受けました。

今度は私が誰かの力になれたらいいな。そう思って、まわりに目を向けてみると、当時、家庭の事情で離れて暮らしていて、以前の私と同じように家に引きこもっていた妹の顔が浮かんだんです。妹を弥勒山に誘い、一緒に参加しました。

その弥勒山で、妹から聞かされたのは、子どもの頃からずっといじめられてきたこと。他人と接するのが怖いこと。どうせ誰も分かってくれないからと、家族にも黙ってきたこと。私はそんな妹の気持ちを知ろうともせず、きつく当たってしまったことさえあったな。ひとりでつらい思いを抱えさせてしまったんだなと思って、涙が止まりませんでした。

相手の心に寄り添うこと。あのとき教わった大切なことを胸に、妹と一に人生を切り拓いていきます。(東京都・20代・女性)


※写真はイメージです。本文の登場人物とは関係ありません。

弥勒山で頑張れた。
学校でも逃げずに立ち向かおう!【エピソード②】

小学生の頃、原因も分からず無視されたり、蹴られたりと、いじめにあっていました。昨年、中学校に入ってもすぐいじめられ、学校へ行けなくなったぼくは、先生の勧めで校内の相談室を利用するようになったんです。相談室では、教室へ行けない子が勉強したり、相談員の先生と話したりしていました。

何カ月か経った頃、霊友会の先輩から、今年3月の「青年の弥勒山セミナー」の運営者に応募しないかと誘われました。ぼくは、今の状況を変えたかったし、運営者の人はいつも輝いていてカッコいいなと思っていたので、挑戦しよう!と決めました。

運営者として人のために動ける自分になるために、勇気を振り絞って、霊友会の教えを伝えよう。毎日お経をあげ、連絡先を知っていた友達全員に声をかけました。でも、「そういうの無理」とみんなから断られ、ショックでした。教室へ行けていない自分だから誰も信用してくれないのかな、と落ち込んでいたんです。

そんなとき、同じ支部の人や運営者の仲間が「一緒に頑張ろう」と励ましてくれました。家族も応援してくれました。みんなのおかげで、もう一度挑戦しようと思い、偶然久しぶりに会った知り合いに「一緒にやってみない?」と話すと、「やるよ」と言ってくれました。あきらめなければ、ぼくにもできるんだ!とうれしくなりました。

弥勒山では、参加者全員でお経をあげるときの導師をしたり、250人以上の前で自分の体験を発表させてもらったりしました。すごく緊張したけど、弥勒山で頑張れたんだから、学校でも、苦手なことから逃げずに立ち向かおう!と勇気が湧いてきたんです。

今はまだ相談室登校を続けていますが、お昼に給食を取りに教室へ行くとき、運営者の仲間の顔を浮かべながら、自信をもって教室に入れるようになりました。これからは、部活動もやりたいし、少しずついろんなことに挑戦していきます。

そして、ぼくと同じように、小学校の頃からいじめられて相談室登校をしている同級生がいるので、その子に霊友会の教えを伝えて、一緒に変わりたいと思っています。(埼玉県・中学生・男子)

※写真はイメージです。本文の登場人物とは関係ありません。

学校へ行かなくなった私が
人のために動くまで【体験談】

中学生になってすぐ、学校に行かない、とMさんは心に決めた。彼女はなぜ、そのような思いに至ったのか。そして、そんな彼女の心を変えたものとは―。

「私は今、地元で事務職をしています。職場の人間関係も良く、明るく前向きに働けていて、毎日楽しいです。でも、こんな人生が送れるなんて、以前の私には想像できませんでした」。

そう語るMさん。幼い頃から人見知りで、自分から人に話しかけるのが苦手。社交的な5歳上の姉とは対照的な性格だったそうだ。小学1年生のとき、怪我で入院していた時期があり、クラスに溶け込めなかったのがはじまり。4年生のときには、仲良くしてくれていた子が転校し、ひとりぼっちになってしまった。また、同級生にからかわれたことが原因で、同年代への苦手意識をもつようになったのもその頃だったという。

「でも、そんな状況を変えようとは思いませんでした」。

私にはできないと、初めからあきらめていた

「小学5年生のとき、家庭の事情で転校した先の学校で、何人か友達ができました。でも、せっかく仲良くなれたみんなとは、学区の関係で私だけ別の中学校へ。元々、勉強も苦手だし、友達がいない学校へ行く気にどうしてもなれなかった。最初の1週間だけは通いましたが、案の定、友達はできず、私は学校へ行かなくなりました。

寂しいとか、辛いとかいう気持ちはありませんでした。家にいれば、家族以外の人と関わらなくて済むし、気楽だったからです。家族とは普通に会話もするし、食事も一緒にとる。私には7歳上の兄がいて、生まれつき難病を抱えていますが、兄の面倒を見ながらも、両親は私のこともちゃんと見てくれていました。

両親から学校へ行くように言われることもありましたが、私のためにフリースクールを探してくれたり、パソコンを買ってくれたりしました。学校よりも自由で、自分のペースに合わせてくれるフリースクールへ時々行きながら、家ではゲームやインターネットをする生活を送っていました」。

Mさんの叔母であるK支部長は、当時の様子をこう話す。

「姉夫婦(Mさんの両親)も私たち夫婦も、彼女の将来をすごく心配していましたよ。本人にとって少しでも良い道に進むようにと願いながら、みんなでずっとお経をあげていました。どうしても学校には行かないと言うので、それならばと、彼女の将来に役立つように、いろんな経験をしてもらおうと。つどいや弥勒山にもいつも誘っていました。断られることも多かったし、渋々参加していたようですけどね」。

Mさんが振り返る。

「もし、中学に入学してすぐ友達ができていたら、そのまま通っていたんじゃないかと思います。でも、友達を作ろうと自分からチャレンジすることはしなかった。私にはできないと、初めからあきらめていたんです」。

文部科学省による令和元年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、近年、少子化で子どもの数は減少するする中、平成25年度以降、小・中学生の不登校児童生徒数は毎年増え、令和元年度は181、272人(全児童生徒の1.9%)だった。さらに、不登校の主な要因は、「親子の関わり方(10.2%)、いじめを除く友人関係をめぐる問題(15.1%)」を抜いて、「無気力・不安 (39.9%)」が1位。
Mさんのような、学校生活に対して希望をもてない、挑戦する気持ちになれないという小・中学生が多いことをあらわしている。

自分を変えたい!

Mさんにとっての転機は、中学3年生から高校1年生にかけてだった。

「中3になって、急に将来が不安になったんです。フリースクールで知り合った年上の子たちが高校に進学する姿を見て、焦ったんですよね。学校には行きたくない。でも、このまま親に頼り続けて生きていけるのかな。社会に出て、働くことが私にできるだろうか。考えれば考えるほど不安になりました。その後、通信制の高校に進学したものの、自分は駄目な存在だと、どんどんネガティブ思考になって自分の殻に閉じこもり、毎日泣いていました。

この状況から抜け出したい。社会に出て働けるような、明るい自分になりたい。でも、どうすれば……。悶々としていた高校1年生のとき、叔母であるK支部長が、『うちに住んでみる?』と声をかけてくれたんです。今の環境を変え、自分を変えたい! その一心で、支部長の家で暮らすことに決めました。

そこには同い年の従妹がいて、元気に高校へ通っていました。ほとんど昼夜逆転の生活だった私は、従妹や支部長のサイクルに合わせ、生活リズムから直していきました。夜は早く寝る。朝は6時に起きて、お経をあげる。掃除や洗濯など、家のことも手伝いました。毎日コツコツ続けることで、少しずつ、自分に自信が芽生えてきたんだと思います。数カ月、支部長の家で過ごす中で、落ち込んだり、自信をなくすことが少なくなり、物事を前向きに考えられるようになっていきました。

そして、一番苦手だった、人と関わること。それまで、つどいや弥勒山は、人が大勢いて疲れるだけだし、誰も私のことなんか興味ないから帰りたいと思っていました。

高校生のときに参加した、ある弥勒山でのことです。グループミーティングで一緒になった年上の女性が、私の話を親身になって聞いてくれました。正直、どんな内容の話をしたかはよく覚えていません。でも、こんなに真剣に私の話を聞いてくれる人がいるんだ!って感動したんです。それから、人と積極的に話すようになれた気がします。

そして、支部長と一緒に、地域のつどいに参加したり、会員さんのお宅に何度も足を運ぶ中で、「Mちゃん、最近変わったね」「明るくなったよ」と言われたときは本当にうれしかった。いろんな人のおかげで、人と関わる楽しさを知ったんです」。

K支部長も、たくさんの人の存在があったからこそ今がある、と語る。

「Mの姉は、妹をなんとかしてあげたいと、誰よりも彼女を心配していました。その思いに私も突き動かされ、支部の仲間みんなで修行に取り組みました。また、毎日のように各地でつどいがあったからこそ、いろんな人からMに温かい言葉をかけてもらいました。その中で、Mの心が変わっていったんです。

ある会員の息子は、中1から家に引きこもっていました。私や支部の仲間もお宅に行く度に気にかけていたんですが、そんな彼のことを一番心配してくれたのがMだったんです。彼の好きなゲームの話題でコミュニケーションを取って、心を溶かしていってくれました。今、彼は高校2年生になり、元気に学校に行って野球もしています」。

Mさんは、どんな気持ちで彼と接していたのだろうか。

「学生生活をあきらめてほしくないと思いました。学校に行けない理由は人それぞれ。なんで行きたくないのか、何に悩んでいるのか、その気持ちを聞かせてもらうことを大切に、好きなものや趣味をきっかけに声をかけていったんです。最初は何しに来たの?って感じの態度だったけど、あきらめずに関わっていたら、徐々に笑顔が増えていきました。

いろんな人と関わる中で、うまくいかないこともあります。昨年、親子関係が悪い親せきの子をなんとかしてあげたくて、霊友会の教えを伝え、その子は入会しました。でも、やっても変わらないから辞めたいと言われてしまって。その姿が、どうせ変わらないとあきらめていた以前の自分とダブったんですよね。そんな彼女の気持ちに、私はどれだけ真剣に寄り添えていたんだろうと思って……。もう一度、彼女の幸せを願って関わっているところです。

たくさんの人に自分を変えてもらった恩を、まわりの人に返していけるように、失敗を恐れず積極的に人と関わっていきます」。
※写真はイメージです。本文の登場人物とは関係ありません。