今月の
特集

2022.7.30

人とふれ合う。自分が見えてくる。

あの人と弥勒山へ

今、弥勒山が熱い! 現状から一歩でも前に進もうと、全国各地から青年たちが集まってきている。今回の特集は、弥勒山に新しい仲間を誘って参加した人たちにフォーカス。1人で来たときと何が違う?一緒に参加した人の感想は?青年たちの話を聞いた。

    1. ■Interview—友達の姿が大切なことに気づかせてくれた【佐賀県・森隆宏さん・野田久喜さん】
      6月18日~19日「青年の弥勒山セミナー(社会人班)」(第二十五支部)に、森隆宏さんは友人の野田久喜さんを誘って参加した。
      続きを読む
    2. ■Episode—初参加者発言集
      弥勒山の分科会で聞いた、同年代の人の話が印象に残りました。…続きを読む
    3. ■Message—弥勒山で感じたことを地元で生かそう【青年部部長・前田康喜】
      弥勒山で感じたことを、日頃の生活に生かす。そのことがほんまに大切なんやなと、最近、あらためて実感しています。続きを読む
    4. ■History—弥勒山建立に込められた思い
      太平洋戦争後、日本はヒロポンなどの覚せい剤がまん延し、青少年の心身を蝕んでいることが大きな社会問題となっていました。
      続きを読む
    5. ■Column—なぜ、弥勒菩薩なのか
      小谷恩師は『明法』昭和35年(19607月号の弥勒山特集の中で、次のように話されています。
      続きを読む

友達の姿が大切なことに気づかせてくれた

6月18日~19日「青年の弥勒山セミナー(社会人班)」(第二十五支部)に、森隆宏さんは友人の野田久喜さんを誘って参加した。弥勒山で積極的に人と話し、楽しそうにしていた彼ら。どんな気持ちで参加し、弥勒山で何を感じたのか、話を聞いた。

森隆宏さん(左)野田久喜さん(右)

01.3年ぶりの弥勒山ー誰かを誘って行きたかった

 弥勒山って本当に楽しい。普段なかなか出会えない他県の人や、社会人の人たちと話せて、友達になれる。悩みがあったら、みんなが真剣に聞いてくれる。周りの人を思って行動している仲間に刺激を受けて、「人のために動こう!」ってやる気が湧いてくる。自分1人で来るのはもったいないと思って、中学生のときから友達や学校の先輩を誘って参加してきました。今回は3年ぶりの弥勒山。絶対に誰かを誘いたいと思ったときに、真っ先に頭に浮かんだのが久喜でした。

彼とは高1のときからの付き合いで、今も同じ専門学校に通っています。2人でしょっちゅう遊びや旅行に行くし、ぼくが霊友会をやっていることも知っている。すごく仲が良いんです。今までタイミングが合わなくて一緒に行けなかったけど、今回ばかりはどうしても参加してほしい。そんな気持ちであらためて霊友会の教えを伝えて、「弥勒山あるけん、行かん?」と誘いました。

野田 ちょうどそのとき、志望していた東京の会社から内定をもらったものの、社会人として働いている自分がいまいち想像できなくて……。ちゃんと資格試験に合格して、働くことができるんだろうか。誰も知り合いがいない東京での一人暮らし、やっていけるのかな。そんな不安でいっぱいでした。

だから、隆宏が誘ってくれたときは、目の前がぱっと明るくなった気分でした。気分転換になるかなと思って、「行く」と返事したんです。

 まさかの即答にびっくりしたけど、絶対に2人で行きたいと思って。当日までの2週間、お経をあげて念願したり、「体調は大丈夫?」とか、頻繁に連絡をとってきました。

野田 ちょっとしつこいなって思うくらい(笑)。でも、これまで以上に隆宏の優しさを感じましたね。

 当日、佐賀から弥勒山までは遠い道のりだったけど、その分、いろんな話ができて、全然苦じゃなかった。

野田 そうそう、バイト先の先輩とどうやったらうまくやれるかなって話し合ったり、弥勒山のことを教えてもらったり。今までも2人でいろんな話をしてきたつもりだったけど、もっと絆が深まったような気がしました。

02. 母に言われたことが今になって分かった

野田 弥勒山に到着して、まずびっくりしたのが人の多さ。大勢でお経をあげたり、初対面の人たちと話したり、何もかも初めてのことだらけで新鮮でした。これからどんなことがあるんだろうって、すごくわくわくしました。

 こっちは、久喜はシャイなところがあるから、支部のみんなとなじめるかな。来てみてどう感じてるかなってずっとハラハラしっぱなし。

野田 そうなんです。人と話すのは大好きなのに、大勢の輪の中に入ると緊張してうまく話せなくて……。でも、弥勒山ではどの人も、いつでも話しかけていいよっていう雰囲気を出してると感じられたので、リラックスして自分から話しかけることもできました。

分科会のグループミーティングでは社会人の人たちと一緒になりました。「自分が社会人になることが想像できない」と話すと、みんなが「自分もそうだったよ」と共感してくれた上に、仕事のやりがい、働く上で心がけていることを話してくれたんです。その中でも、「自分のことだけを考えるんじゃなく、同僚や取引先の事情や気持ちを考えながら仕事をすることが大事」という言葉が心に残りました。人を思いやれる社会人にぼくもなりたいと思ったんです。

 他人の、それも初対面の人の話を素直に受け止められるってすごいですよね。付き合いが長いのに、彼にそんな一面があることを初めて知りました。

実は、弥勒山に来る道中、母から「久喜くんを見習ったら」と言われていたんです。そのときは、なんで?って意味が分からなかったんですけど、今になって言われた理由が分かった気がします。

ぼくは何をするにも、気が進まなければ絶対にやらないところがあります。それを直した方がいいよって母や霊友会の先輩たちにずっと言われてきました。でも、何でそんなことをあなたたちに言われないといけないんだって気持ちが強くて、全然聞いてこなかったんです。そんなぼくと久喜は正反対。人の話を自分の糧にして前向きになっている彼を目の当たりにして、自分もこのままじゃいけない。変わりたいと心から思いました。

こんな気持ちになれたのは、久喜がいたから。一緒に弥勒山に来てくれて、本当にありがとう。

野田 ぼくの方こそ感謝です。弥勒山では、みんなが「人のために行動したい」と真剣に話しているのも印象的でした。ぼくたちの専門学校には、突然学校に来なくなる人が多いんです。何か悩んでいることがあるなら、聞いてあげたい。これからは学校のみんなに声をかけていきます。

 すごく心強い。今回、2人で参加できたからこそ、1人のときでは気づけなかったことが得られました。そんな弥勒山に、次はぼくたちだけでなく、もっとたくさんの友達と参加します。

初参加者発言集

Episode01

弥勒山の分科会で聞いた、同年代の人の話が印象に残りました。「忙しくて自分のことで精いっぱいになると周りが見えなくなりがちだけど、そんなときこそ人のために行動できるようになりたい」。彼の他にも、友達や同僚のために行動したいと言う人がたくさんいて……。世の中には自分のことしか考えていない人が多い中、真剣に人を思っている人がたくさんいるんだな。普段、忙しくなると余裕をなくして、つい言葉遣いがきつくなっていた自分を反省しました。

弥勒山で出会ったみなさんのように、私も周りの人のために行動してみようと思いました。同僚のいいところを見つけたら、すぐに言葉に出して伝える。元気がない後輩に声をかけて話を聞く。できるところから取り組んでいきます。(20 代・男性)

Episode02

息子には障がいがあるのですが、外見からは分かりません。そのため、息子が公共の場で騒ぐと周りから変な目で見られたり、「親のしつけがなっていない」と心無いことを言われることがしょっちゅう。他人に理解してもらえず、悲しい気持ちでいっぱいになることが度々ありました。

息子と一緒に参加した初めての弥勒山。出会う人みんなが優しく話しかけてくれたり、息子が騒いでも嫌な顔一つせず「元気なお子さんだね」と笑顔を向けてくれたんです。ありのままの私たちを受けとめてくれる人がいる……。涙がでるぐらいうれしくて、心が温かくなりました。(30 代・女性)

Episode03

仕事の悩み、家族のこと、学生時代の思い出……。弥勒山にいるみんなが本音で話していたから、その雰囲気に押されて、私もたくさん話しました。いつの間にか心が軽くなっていて、もっと仕事を頑張ろうとやる気が湧いてきました。

普段、職場の人とは仕事以外の話をあまりしません。弥勒山で初対面の人とも話せたんだから、同僚とも話せるはず。職場の人たちに積極的に話しかけていきたいです。(20 代・女性)

弥勒山で感じたことを地元で生かそう

弥勒山で感じたことを、日頃の生活に生かす。そのことがほんまに大切なんやなと、最近、あらためて実感しています。


青年部部長・前田康喜

きっかけは、先日参加した弥勒山。拝殿でたまたま私の後ろに座った中学1年生の男子たちが、すごく楽しそうにしゃべっていました。声をかけて話を聞いてみると、初めて会ったのにもうこんなに仲良くなれて、連絡先も交換したんだ、と。住んでいる地域も、育ってきた環境も違う人たちと、自分から積極的に関わり、仲間になる。そんな彼らを見ていたら、私の頭に、職場のある部下の顔が浮かんでいたんです。

その部下とはいつも意見が合わず、私は正直面倒くさいなと思って関わりを避けていました。でも、弥勒山で出会った中学生に負けていられないな。自分から、彼と関わっていこう。そう思い、弥勒山の2日後、仕事終わりに少し時間をもらって彼と話をしました。

業務のこと、同僚との関係……いろいろと話をしていると、彼から、「ぼく、前田さんのことが嫌いでした」と衝撃のひと言が。そして、「前田さんは会議のとき、いつもみんなの意見を尊重しているようで、結局は全部自分のやりたいように進めています」と言うんです。あまりにもハッキリ言葉にされてさすがに傷つきました。

でも、彼の話を聞きながらだんだん冷静になって自分を振り返ってみると、たしかに部下たちの話を聞いているようで聞いていなかったんじゃないか。申し訳なかったなと思い、自分の至らなさに気づかせてくれた彼に感謝の気持ちが湧いてきました。彼がもっと生き生きと仕事をしていけるように、自分にできることをさせてもらおうと、その後もいろんな話をしています。

日常生活で味わえない発見や感動が、弥勒山で過ごす1泊2日にはあります。でも、一番大切なのは、弥勒山での気づきを下山後の行動につなげ、より良い自分をつくっていくことです。その気づきは、1人より、誰かと一緒に参加する弥勒山のほうが多い。私自身、昔からヤンチャで、親や周りの人に迷惑ばかりかけてきましたが、毎年、弥勒山に新しい仲間と参加し、感じたことを地元で生かす。その繰り返しの中で、少しずつ人として成長することができたと実感しています。

気になる〝あの人〟を弥勒山に誘って互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、人を思い、身近な人から声をかけていく。より良い自分、より良い地域社会をつくる仲間の輪を広げ、ともに世界の平和に貢献していきましょう。

弥勒山建立に込められた思い

太平洋戦争後、日本はヒロポンなどの覚せい剤がまん延し、青少年の心身を蝕(むしば)んでいることが大きな社会問題となっていました。戦前から霊友会の創立者・恩師久保角太郎先生に「大勢の子どもを育てる念願をすることが、これからの修行である」と指導された初代会長・小谷恩師。若者の可能性が閉ざされていくことに危機感を感じられ、次代を担う青少年の育成こそ、霊友会が国家・社会に果たす役割だと確信されました。昭和29年(1954)に霊友会青年部を創立され、10年後の昭和39年(1964)、青年の修行の場として弥勒山を建立されました。

小谷恩師は、『明法』昭和34年(19595月号で、弥勒山建立に込められた思いを、次のように話されています。

「霊友会をつくりましたときに、若い人たちを導いて育成することを、亡くなられた久保恩師はよくおっしゃっておられました。みなさんは、夏は七面山の修行、冬には寒の修行を行じておられますが、世の中の進歩とともに、それだけでは、みなさんが物足りないようにお考えになると思うので、念願をずっと続けておりました。そこで、弥勒山を建立して、世の中の役に立つために、社会の勉強あるいは仏教の勉強をしていただきたいと思ったのです」。

大勢が集まることに意義がある

弥勒山での青年部の修行を、小谷恩師はこのように具体的に述べられています。

「青年部はどうしても1年に2回くらいは集まって、1日は読経の修行をする。また1日は青年部の方々の修行された体験を伺う。そしてまた1日は社会の勉強をしておられる方々の講演を伺う。せめて青経巻だけでも書写をする。今後、青年部が社会に貢献し、使命を果たしていくためには、まずそういう修行をしていかれたほうがよろしいと思いまして、長い間の念願により、弥勒山を建立することになったのです。中略)

大勢の人が菩提心(ぼだいしん)をもってこのご先祖ご供養の教えを生かしていけるようにというわけですから、決して難しいことではなくして、どなたでもできることなのです。朝寝をした人は修行によって悟らせていただくとか、親の言うことを聞かなかった人たちはいろいろな体験談を聞いたりして、修行は大勢でやったなら生きていくと思います」。

日常生活で個々に修行するだけでなく、全国から集まった大勢の仲間と寝食を共にし、ふれ合うからこそ得られるものがあるのではないでしょうか。自分の生活習慣は正しいのか、何気なくとった言動が周りの人を傷つけていなかったか、困っている人を見て見ぬふりはしていなかったかなど。自分を見つめ直し、気づいたことを改めていく。その積み重ねの中で、自分を、周りの人を、地域・国を良くしていく。弥勒山は、世の中に貢献する心をつくる場所なのです。

昭和 42 年(1967)、青年部弥勒山冬の修行(女子班)から。分科会での発表 

拝殿で勢いよく手を挙げる発表会の様子。昭和 48 年(1973)

なぜ、弥勒菩薩なのか

01 なぜ、弥勒菩薩なのか

小谷恩師は『明法』昭和35年(1960)7月号の弥勒山特集の中で、次のように話されています。

「大恩師久保先生ご在世当時に、『乱れた世の中を救うには、*行法経を身をもって修行するのが今、“時” なんだ』と教えられまして、だんだんと行法経の修行をしていきますと……行法経の中から、私がある個所を霊界から教えられまして、行法経の修行をするには、ご本体は弥勒菩薩が、これが順序であるんだというように教えられまして、それで弥勒菩薩を祀(まつ)ることにしたわけなんです」。

「行法経を身をもって修行する」とは、多くの人との関わりを通じて自分の足りないところに気づき、“心” と “行い” を改めていく。すなわち、「懺悔(ざんげ)の修行」を行うこと。久保・小谷両恩師は、その行を一人でも多くの人に実践してもらうことで、世の中を良くし、世界平和の実現を目指されたのです。

そして、小谷恩師が仰った行法経の「ある個所」とはどこでしょうか。『明法』同月号の中で小谷恩師は、「當來(とうらい)の彌勒(みろく)、願(ねが)わくは我(われ)に法(ほう)を授(さず)けたまえ」という一節を挙げられています。これは、ある修行者がこれから世のため人のために働くことを誓願し、弥勒菩薩に修行のやり方を教わるところを説いた一節です。弥勒菩薩はお釈迦さまの教えの根本、修行の基本を伝える指導者としての役割を持つ菩薩。小谷恩師は行法経の念願をされる中でこの部分に着目され、私たち会員が在家の修行者としての決定(けつじょう)を固め、下山後の活動を誓願する場・弥勒山に弥勒菩薩を祀られたのです。
*行法経法華三部経の一つ「佛說觀普賢菩薩行法經」のこと

02 立っておられる弥勒菩薩は珍しい !?

弥勒菩薩像の原木は、熊本県の諏訪神社の境内にあった樹齢400年のご神木。日本芸術院会員の彫刻家・澤田政廣氏によって、高さ7メートル、楠の一本彫りの弥勒菩薩像が誕生しました。広隆寺の国宝・弥勒菩薩半跏思惟(はんかしゆい)像に代表されるように、弥勒菩薩像はお座りになったものが多い中、なぜ霊友会の弥勒菩薩像は立っておられるのでしょうか。小谷恩師は『明法』昭和35年(1960)7月号で、次のように述べられています。


昭和39年(1964)11月8日に行われた弥勒山竣成式で、弥勒菩薩に祈念される恩師小谷喜美先生

「乱れた世の中を救うというときに、 腰をおろしていたり、 座っていたりしたんでは悪魔を*折伏(しゃくぶく)できない。 その神力を現していただくには、 これはお立ちになって働いていただくのが本当だと思いまして……。 また青年部の諸君たちも、 座っているとか、 腰かけているとか、 そういう物事を楽に仕事をしていこうというような気持ちを持たないで、自分の行うべき修行は、持ってきた因縁ごとであり、 持ってきた約束なんであるから、 座って他人(ひと)頼みをしないで、 何事も菩薩行として自分の因縁は自分で解決するということでお立ちになって修行していかれるように、 弥勒さまのまねをしていただかなければならない」。

このお言葉通り、弥勒山に集う私たち青年部は、世のため、人のために行動する使命があるのです。
*折伏迷いを覚まさせること。