今月の
特集

2024.10.1

第16回弥勒山「三者ふれあいのつどい(夏班)」
8月23日~24日

青年たちの心が動いたハートフルな弥勒山!

優しさと、ぬくもりに溢(あふ)れた1泊2 日―。障がいのある人、その家族・介護者・介助者、ボランティアの「三者」がお互いを尊重し、足りないところを補い合いながら、一緒になって幸せな人生を歩んでいく。すべての人が生まれてきてよかったと思える社会を目指そうと昭和52 年(1977)に発足した「三者の会」。その理念がギュッと凝縮された第16 回弥勒山「三者ふれあいのつどい(夏班)」が開催された。ここでは初めて三者のつどいに参加した青年たちの声を紹介。それぞれの立場で何を感じたのだろうか。

  1. INTERVIEW.01―何かに困ったとしても、障がいのある人や家族が自分で何とかしなくてはいけない。続きを読む
  2. INTERVIEW.02―3年前まで、知的障がい者の施設で働いていた私。続きを読む
  3. INTERVIEW.03―「お母さんと笑い合いながら、楽しく話ができる。まさかこんな日が来るなんて夢にも思いませんでした。続きを読む
  4. MESSAGE―1年前、私が勤める会社の説明会にきた高校3年生の女の子。続きを読む


みんなで盛り上がった「お祭り広場」


話を文字にして伝える要約筆記に取り組む


目の不自由な人にとって、拡大版青経巻はマストアイテム

INTERVIEW.01


大阪府 S.Kさん 33歳 奉仕者

|   もう無関心ではいられない

何かに困ったとしても、障がいのある人や家族が自分で何とかしなくてはいけない。社会は助けてくれない―。私は今までそう考えていました。

そんな私が、奉仕者として携わっている支部の先輩に誘われて、初めて参加した今回の弥勒山。考えを改める転機になりました。分科会の一つ「障がい児者と家族のつどい」では、様々な苦難や将来への不安など、当事者の生の声を聞きました。入浴介助のときには、普段はご夫婦で交代してお子さんをお風呂に入れているという日々の努力を聞きました。障がいの有無に関係なくみんなが一緒に楽しんだ「お祭り広場」の優しく、温かい雰囲気は、こんな世界があるんだなと驚きました。

特に印象に残ったのが、2日目の式典での決定(けつじょう)発表。障がいのある息子をもつお母さんが、「この子が生まれたことに感謝します」と発表する姿が印象的で……。はたから見ると、決して楽観視できる状況ではないように思えるのに、どの人も前を向いて生きているんです。

そうしたリアルな姿を目の当たりにして、私自身、障がいや福祉の問題についていかに他人(ひと)事だったのかと思いました。もう無関心ではいられません。障がいのある人やご高齢の方たちのために、自分に何ができるのか。私たち社会に生きる一人ひとりの意識が変わり、みんながそう思うようになれば世の中はきっと良くなる。そう実感した弥勒山でした。

INTERVIEW.02


東京都 岡崎穂香さん 28歳 奉仕者

|   やっぱり私は福祉の仕事が好き!

3年前まで、知的障がい者の施設で働いていた私。今回、支部の仲間から誘われて、以前から興味のあった三者のつどいに、初めて参加しました。

食堂奉仕、入浴介助、拝殿の誘導、スリッパ奉仕。いろんなお役を通じて参加者のみなさんと直接ふれ合ったんですけど、どの人も楽しそうで、とても生き生きとしている。サポートをする私のほうが逆に元気をもらうような、そんな場面がいくつもありました。

その中で、施設で働いていた頃のことを思い出したんです。元々、人の役に立ちたくて、福祉の道を選びました。それなのに、いつのまにか時間に追われ、淡々と作業をこなすだけ。利用者さんの表情を見る余裕をなくし、相手に合わせたサポートもできなくなっていました。

でも、弥勒山でゆったりとした気持ちでみなさんと過ごす中で、声をかけたときに返ってくる笑顔は本当に温かかった。いろんな事情があって現場から離れてしまったけれど、やっぱり私は福祉の仕事が好きだったんだと再確認しました。


「お祭り広場」で車いすの女性とふれ合う

実は私、仕事を離れたところでは人に手を差し伸べることを躊躇(ちゅうちょ)することがあったんです。駅で困っている人を見かけても、どうしようかなって心残りのまま電車に乗ることも……。今回の弥勒山で、自分がモヤモヤするくらいなら声をかけようと思いました。

これからも自分にできる形で、福祉の世界に関わっていこうと思います。

INTERVIEW.03


大阪府 Y.Mさん 26歳 介助者

|   母と一緒に踏み出した新しい人生

「お母さんと笑い合いながら、楽しく話ができる。まさかこんな日が来るなんて夢にも思いませんでした。6年前、S.Y支部長(52歳)が声をかけてくれなかったらどうなっていたか……。感謝の気持ちでいっぱいです」。

そう語るのは、Y.Mさん。6月に導いた母親のMさん(54歳)を誘い、三者のつどいに初めて参加した。

5人きょうだいの末っ子であるY.Mさんが幼い頃、両親が離婚。ほどなくして、Mさんは入退院を繰り返すようになる。喘(ぜん)息、肺炎、うつ病……。今では、腰痛や手足のしびれなどから、車いすで生活している。

Y.Mさんは、Mさんが入院するたびに施設へ預けられた。施設を転々とする生活。小中学校時代は不登校だった。高校は卒業したものの、福祉施設で仕事をしながらMさんの介護に奔走する毎日。兄たちは実家と距離を取っている。S支部長がY.Mさんと関わり始めた頃のことを振り返った。

「Y.Mちゃんと初めて会ったのは約9年前。同級生に導かれたんです。地味でおとなしい印象でしたが、6年ほど前、支部で姿を見なくなったのが気になり、連絡をして会いに行ったんです。そこで目の当たりにしたY.Mちゃんの現状に、絶対にこの子とお母さんに幸せになってもらおうと決意しました」。

幼い頃から施設を転々としていたY.Mさんには、〝普通〟だと言われる感覚が身についていなかった。Y.Mさんが当時を振り返る。

「洗い終わった洗濯物は床に積み上げて、そこから服を取って着ていました。バッグとかの小物も床に置きっぱなし。そういう家で育ってきたから、タンスや収納の必要性を感じてなかったんです。お母さんが病気なのも、私が自分を犠牲にしてお世話をすることも、それが当たり前。S支部長から『自分の状況に怒ってもええんやで』と言われても、よく分かりませんでした」。

違和感や不安、反発を覚えることがないことが問題―。S支部長がこう話す。

「なるようにしかならない。そう話すY.Mちゃんに、『人生をもっと変えなあかん』『今のままでいいの?』と繰り返し話をしました。コロナ禍でつどいや行事ができないときだったから、彼女の家に行ってお経をあげて話をする。それだけを続けました」。

時には厳しいことも言ったというS支部長。だが、その本気の姿勢がY.Mさんの心に届いた。

「自分のことじゃないのに、こんなにも真剣に思ってくれる人と出会ったことはありませんでした。私にできることをしてみよう。そう思えたんです」。

|   母と話をすることが、本当に幸せ

コロナが収まり、行事が再開されて以降、Y.Mさんはさまざまな場に積極的に足を運んだ。つどいや弥勒山に行くたびに同世代の仲間が増えていった。そして今年5月、支部のつどいに参加したとき、Y.Mさんは衝撃を受けたと言う。

「私たち青年だけでなく、いろんな年代の人がいて。親世代だけでなく、祖父母世代の子育てにかける思いを聞いて、母はどう思ってたんやろう。入退院を繰り返す中でも、本当はちゃんと子育てをしたかったんちゃうかなって」。

Y.Mさんには思い当たる記憶がある。Mさんが一時退院してきたとき、決まって洋服を買ってくれた。髪の毛を結んでくれた。夕飯を作ってくれて、一緒に食べた。楽しく、温かい思い出。

「親だから感謝すべきだと頭では分かってたんですけど、大変な思いをして育ててくれたんやなと素直に感じたんです。こんな思いになれる霊友会の場に母も行ってほしい。そう思って、後日、支部長と一緒に霊友会の話をしました」。

実はY.Mさんが入会した9年前、Mさんは反対をしていて、Y.Mさんは1人で教えを実践してきていた。しかし、このときは違った。Mさんは言う。

「昔の娘とは別人のように明るく、楽しそうに話してくれたんですよ。娘をここまで変えてくれた場所があるんやったら、私も行ってみたい。そう思い、入会することにしたんです」。

車いすのMさんが安心して参加できる場所。それが「三者ふれあいのつどい」だった。Y.Mさんにとって初めて母親と参加した、初めての三者のつどいは、感動の連続だった。

「障がいがあるとか、健常者だからとか関係なく、みんながフラットに接している。本当にすごいなと感動しました。その中で母が楽しそうにしている姿を見ていると本当にうれしくなって……。もっと母との距離を縮めたいと思いました。

実は8月1日から私の働いている施設に母が入所しているんですけど、仕事が終わったら会わずに帰宅することも多くて……。でも、弥勒山以降、母も私と話をすることを楽しみにしてくれていて、私の仕事が終わるのを待っていてくれるんです。帰る前に母と話をすることが今、本当に幸せです」。

「来年もまた参加したい」と言うMさんもまた、思いを新たにしていた。

「私の知人に家族の問題で悩んでいる人がいるんですけど、彼女にも霊友会のことを伝えたくなりました。それで早速、帰りの車の中で電話をしたんです。良い返事はもらえませんでしたが、話だけでも聞いてほしいと弥勒山で感じたことを伝えました。次の三者のつどいには、彼女と一緒に行きたいなと思います」。

親子で依存するのではなく、お互いに思い合いながら他人の幸せを願う。今、Yさん母娘は大きく変わりつつある。

「母の姿に刺激を受けて、私も友達に弥勒山の話をしました。母と一緒で断られてしまったんですけど(笑)、私も次の弥勒山には新しい人を誘って参加することが目標です」。


Y.Mさんの左が母親のMさん、右がS支部長。たくさんの出会いがあった1泊2日になった

MESSAGE


青年部部長 前田康喜

|   人を思う気持ちが世の中を明るくしていく

1年前、私が勤める会社の説明会にきた高校3年生の女の子。すごく強張った表情なので、「何か不安なことでもあるん?」と聞くと、彼女は堰(せき)を切ったように、泣きながらこう言いました。

「御社のお話を聞いて、ここで働きたいと思いました。ですが、私はクローン病(原因不明の炎症性腸疾患で、口から肛門までの消化管に慢性的な炎症を引き起こす病気)を患っています。やはり就職はあきらめたほうがいいかもしれないと、今、迷っています」。

絶対にあきらめてほしくない―。私は、他の説明会参加者にしばらく待ってもらうようにお願いし、1対1で彼女の思いをじっくり聞きました。そして、「病気を抱えてほんまにつらいよな。でも、あなたの将来をご両親もすごく心配していると思う。だから、挑戦してみよう。失敗してもええやん。うちの会社は、あなたの挑戦を全力でサポートするよ」と伝え、後日、会社の役員にかけあって、彼女は入社できることになったんです。

今年の4月から、彼女は私たちと一緒に働いています。体調を崩して出勤できない時期もありましたが、出勤時間を調整するなど、会社としてもバックアップをしています。彼女のすごいところは、それを当たり前と思わず、頼まれた仕事だけじゃなく、率先して自分にできる仕事を探していること。その姿勢に私たちも胸を打たれ、今まで以上にみんなで助け合う職場になっているんです。一度は退職を申し出てこられたご両親も、「あきらめずに一緒に頑張りましょう」と私たちの熱意を伝えると、「本当にありがとうございます」と喜んでくださいました。

昔の自分なら、こんなおせっかいはできませんでした。毎日お経をあげ、導きをして人と深く関わる中で、少しずつ、人を思う気持ちをつくることができたんです。障がいのあるなしにかかわらず、人を思う気持ちが世の中を明るくしていく。人の役に立つ自分をつくり、親、先祖に喜んでもらえる。みんなでそんな生き方ができる仲間の輪を広げ、世界の平和に貢献していきましょう。