今月の
特集
2019.7.25
“働くを楽しく”ツボ教えます!
今よりもほんのちょっと踏み込んでみたら、「お」という発見がある。私たちの日常は、そんなチャンスの連続かも……。今月の特集では、様々な社会人のエピソードを紹介。仕事上の悩みや問題にぶつかったとき、どんな一歩を踏み出すことでブレイクスルーを果たすことが出来るのか。今日からあなたの“働くを楽しく” する、とっておきのツボ教えます!
仕事の本音ーーー
同僚たちからお互いの愚痴などを聞くのがつらいです。どっちの言い分もわかるけど、どちらの味方とも言えず板挟み状態。ストレスに感じます。(28 歳女性)
上司・同僚等とのコミュニケーションが足りず報連相が機能しない。そのため余分な業務に追われ、他部署からの苦情を受けることになる。(33 歳男性)
ある人材派遣会社が2015 年に行った調査(インターネットによるアンケート・有効回答数2,667人)によると、仕事をする上で最もストレスを感じるのは人間関係だという結果だった。社会人として避けては通れないこの難問。あなたならどうする?
- ■ 萎縮して、自分を出せない ーーー
入社1 年目。職場で素の自分を出せない私の目に留まったのは、ある先輩の姿だった。(20 代・女性)
①「身近な人をお手本に」を読む - ■ 職場を明るくしたい! ーーー
お互いに粗探しをするような、信頼関係も皆無の職場。このままでは良くないとは思うけど、どうすれば?(20 代・女性)
②「他人を責めるのではなく、ちょっとした自分の行動で職場は変えていける」を読む - ■ 気難しそうな先輩とどう接すればわからない ーーー
いわゆる気難しそうな、話しかけにくい先輩が職場にいる。あることをきっかけに、ふとその先輩のことを思い出した。(20 代・男性)
③「簡単なことでいい。自分から変わる勇気を」を読む - ■ プロジェクトリーダーを任されたけど、うまくいかない ーーー
就職して11 年。人をまとめていく立場に変わり、新しいプロジェクトのリーダーを任された。しかし、メンバーの1 人が私の発言や決まったことに対していちいち足を引っ張ってくる。次第にチームはバラバラに。そんなとき、私の心に甦ってきた思いは……。(30 代・女性)
④「みんなの気持ちを見ようとしていなかった」を読む - ■ 働くのは自分のため。他人は関係ない。そう信じてきた ーーー
手に職をつけて、自分が食うに困らないことが第一。得るものが無い他人との会話は時間の無駄。
そんな考え方に至ったのには理由があったが、一昨年、霊友会の教えと出合い……。
時を同じくして、会社の存続を揺るがす一大事が起きた。(30 代・男性)
⑤「仕事も、家族も、全部一緒なんだ」を読む
①身近な人をお手本に
入社1年目、緊張で委縮してしまい、なかなか素の自分を出すことが出来ません。そのとき目に留まったのが、ある先輩の姿でした。いつも元気で、飾らない笑顔。上司から「これやって」と言われ、「はい!やります!」と答える声と動作も本当に生き生きとしていて、純粋に仕事を楽しんでいるのが伝わってきました。
私もあの人のように仕事をしたい。そう思って、先輩を真似て頑張ってみると、同僚や他の先輩たちがたくさん声をかけてくれるようにもなり、職場でも普段の自分を出せるようになっていきました。身近にいる魅力的な人をお手本にするっていいと思います。(20 代・女性)
②他人を責めるのではなく、ちょっとした自分の行動で職場は変えていける
陰口を言う人が多く、社員同士が信じ合えない状態だった職場。私も苦しくなるときがあり、どうすればいいんだろうと悩みました。
そんなとき、霊友会の仲間や先輩の考え方にふれて、黙って見ているだけじゃダメだ。本気で人のために動こう!と思ったんです。同僚が揉めていたら止めに入る。愚痴や噂話に乗っからず、「あの人にもこんな良いところがあるよ」とフォローする。
信頼関係を築いていけるように、私に出来ることを精いっぱいやりました。
少しずつ仲間意識が芽生え、雰囲気が明るくなっていくにつれ、私自身も、周りにいる人たちのおかげで今の自分があると思えるようになりました。
他人を責めるのではなく、ちょっとした自分の行動で職場は変えていけると思いました。 (20 代・女性)
③簡単なことでいい。自分から変わる勇気を
あるつどいで、「自分を変える勇気が大切だよ」って話を聞きました。なんで自分を変えなきゃいけないの? 最初はそう思っていたんですけど、私生活や仕事のことを振り返っていると、職場にいる、気難しそうな先輩のことをふと思い出しました。ぼくはその方が苦手だなと感じていて、毎日、挨拶もせず、何も喋らないままもう3カ月が経っていたんです。そこで、簡単なことですが、まずは元気よく挨拶することから始めました。
最初の2週間は全然返事をしてもらえなかったんですけど、あるとき、「あいつ変わったな」と先輩が言っているのを耳にして。それから徐々に、コミュニケーションを取れるようになり、仕事だけじゃなく、プライベートのことまで話せるようになりました。今では、休みが欲しいときに、その先輩に「すみません、この日変わってもらえませんか」と頼めるほどの関係に。自分から変わることで、相手との関係も変えていけるんですね。 (20 代・男性)
④みんなの気持ちを見ようとしていなかった
社会に貢献する仕事がしたい。そんな気持ちで、医療関係の会社に就職。11年間務める中で、仕事を教えてもらう立場から、人をまとめる立場に変わっていきました。
職場で私は明るい人、面白い人として通っていて、先輩・後輩問わず誰とも仲良く、楽しい毎日を送ってきたんです。ところが仕事が忙しくなるにつれて少しずつ余裕がなくなり、笑顔でいることが減っていきました。
一昨年、新しいプロジェクトが立ち上がり、私はリーダーに任命されました。今までどんな人とも付き合ってきたし、チームのメンバーともうまくやっていけるはず。そう思って臨んだんです。でも、いざプロジェクトが始まってみると、思いもよらないことが起きました。メンバーの一人・Aさんが私の発言や会合で決まった事柄が気に入らないと、チームの先輩に逐一言うようになったんです。そのたびに先輩は「今日、彼女はこんなことを言っていたよ」と私に報告してくる。先輩は良かれと思って言ってくれていると分かっていても、毎日毎日、不満をぶつけられるうちに気が滅入ってきて……。明日は何を言われるんだろうと、不安で押しつぶされそうになりました。
そのメンバーは後輩にも不満を言っていたらしく、チームの雰囲気がだんだん悪くなっていきました。気づけば、私と同じ方向を向いて仕事をしていた先輩まで味方してくれなくなったんです。
みんなに相談しながら仕事を進めてきたのに、後になって陰でいろいろ言うって何なん?生まれて初めて人を信じられなくなり、ひどく落ち込みました。この状況から解放されたい。プロジェクトなんて失敗すればいい。人目を忍び、職場で泣く日々が続きました。
目の前のことだけを見て悲劇のヒロインぶっていた
そんなとき、「青年の弥勒山セミナー」に参加。ある支部長が、「世界平和に貢献するために念願する中で、周りが変わっていく」と話されていました。それを聞いて、私が20代のときに亡くなった父のことをたくさん思い出しました。
幼い頃から「人はそれぞれ、使命があって生まれてきた」と教わってきたこと。中学生のとき、悩んでいると「目の前のことだけで判断したらあかん。物事には必ず原因があるからお経をあげて教えてもらいなさい」と言われたこと。病気で亡くなる前の2カ月間、一緒に過ごす中であらためて父に教わったことを振り返り、人の役に立つ、地域・社会に貢献する仕事をしたいと思ったこと……など。思い出しながら、今の自分はどうなんだろうって考えました。就職した当初は、仕事で社会貢献するんだって気持ちがあったのに、忙しい日々の中でいつの間にか忘れていた。メンバーに不満を言いふらされたと、目の前で起きていることを見て悲劇のヒロインぶるだけ。どうして不満に思うのか、みんなの気持ちを見ようとしていなかった。もう一度心を入れかえて、仕事やメンバーと向き合っていくことを決意しました。
地元に帰った次の日から「社会貢献できる私にならせていただきたい。私の直さないといけないところを教えていただきたい」と、お経をあげて念願しました。その日の夜、仲の良い同僚から連絡が入りました。Aさんと食事に行き、仕事のアドバイスをしたり、私がどんな気持ちでプロジェクトに取り組んでいるのか、話してくれたとのことでした。同僚の話を最後まで聞き、Aさんはこう言ったそうです。 「Iさんの右腕になれるように頑張ります」。
誰かのせいにしても何も変わらない
その報告を聞いてすごく驚いたと同時に、自分を振り返りました。素直に同僚の話を聞いている彼女と違って、私は自分にとって都合の良いことだけを聞き、都合の悪いことは聞いていなかった。そう気づいて、申し訳ない気持ちでいっぱいになったんです。自分が変わらなければいけないと思いました。
それから私は、今までのプロジェクトの進め方を見直し、チームのみんなを集めて話をしました。私の弱いところ、今悩んでいることを包み隠さず話し、みんなの話をしっかり聞いて進めていきたいことを伝えました。こうして再スタートを切ったプロジェクトは現在、全社を巻き込むような発展を遂とげています。そしてAさんは今、私の右腕です。
もし私があのまま誰かのせいにして仕事を辞めていたら、人間不信に陥っていたかもしれません。父から教わったことを大切にし、霊友会の活動で日々、自分を振り返りながら、これからも仕事で社会貢献ができるように頑張ります。
⑤仕事も、家族も、全部一緒なんだ
中嶋龍英さんは、現在、京都府内にある某トラック製造・加工会社の次期社長として、社員をまとめ、日々奮闘している。しかし、そんな今の働きぶりを、「以前の自分にはまったく想像出来なかった」と言う。その原因は、彼自身の生い立ち、人生観にあった。中嶋さんが変わった理由とは―。
私は、両親、特に父親から厳しく躾けられました。箸の持ち方一つでも、間違えるとすぐに鉄拳が飛んでくる。学校に行くのが嫌だとぐずったら、教科書を捨てられたこともありました。2歳上の姉は要領が良く、怒られるのはいつも私。周りの友達と比べても、何で俺の家はこんなに厳しいんやと感じていました。
小学2年のときだったと思います。ふと生い立ちの話になり、母から、こう聞かされたんです。「あんたは生まれたとき、髄膜炎という病気になった。後遺症が遺るかもしれないと医者に告げられたお父さんは、『こいつの人生はもう終わりや。こいつを病院の窓から放って、俺も死ぬ』って言ったんや」と。ショックでしたね。「人生はもう終わり」って、そうか、俺の命ってそんなに軽いもんだったんやな。だからすぐ叩いたり、あんなに厳しく出来るんやな。「俺も死ぬ」って言うけど、我が子を捨てていざ我に返ったら、どうせ考えが変わるんやろ、と。その気持ちが、進学、就職と進んでいくその後の人生に、暗い影を落とし続けた。どんなに優しい言葉をかけられても、みんな本心では俺のことなんかどうでもいいと思っているんやろ。そう考えたら、人と付き合うって何の意味があるんかなと思って。
高校では、どうせ卒業したら縁が切れるんやから、友達を作っても仕方ない。人と会話するくらいなら、就職のために勉強したり、自分のために時間を割いて効率よく過ごそうと決めていました。就職後は、出世を目指したこともありましたが、結局は腹の探り合い、人間関係のしがらみに巻き込まれる。だったら手に職つけて、自分さえ食いはぐれないようにしようと生きてきました。
「親の思い、ほんまに分かってんのか」
トラック製造会社に就職し、淡々と日々の業務をこなしていた中嶋さん。今から6年ほど前、即戦力の社員を探していた現在の会社の社長から、人づてに誘いを受けた。
以前の会社が、残業が多く、有給も取れず、転職を考えていた時期でした。ただ、次は新しい業種に挑戦したいと思ったので、何度も断り、ようやく重い腰をあげて話を聞きに行った感じでした。諸条件を提示し、待遇が悪かったらいつでも辞めますよという態度で入社したんです。
それでもいいから、と諸手を挙げて歓迎してくれた社長の思いも、中嶋さんには届かない。
常に先の先まで読んで動く社長の仕事ぶりを間近で見れたことは良かったけど、逆に言えば、得るものはそれだけと思っていました。二人の先輩も、私と同じように人とコミュニケーションを取りたがらない。各自が社長から指示を受けて仕事をし、社長に報告する。ただただ、その繰り返しでした。
そんな日々を送っていた一昨年、知人から霊友会に誘われた。
先祖供養ならと入会はしたものの、「親孝行しましょう」と言われるのが嫌でした。それに、「つどい」に初めて参加したときも、なんで他人に自分の腹の内を見せなあかんのや? 拷問や!と思いましたね。
入会して少し経った頃、先端支部のつどいで、支部長からこんな言葉をかけられたという。
「生きていても親は先祖なんやで。親がいるから、自分がおるんやで」と。さらに、「中嶋くん、分かってるか。自分の命を捨てるって、そこまで思って。その親の思い、ほんまに分かってんのか」と、懇々と諭とすように話してくれました。それをきっかけに、そうなんかな、そういう捉え方もあるんかなと考えるようになりました。
それからいろんなつどいに参加してみると、親との関係に悩む人の話をよく耳にしました。ああ、俺、この人よりもっとキツイこと親に言ったことあるな。あの人はあんなに親に申し訳ないと思っているのに、俺はどうだったんだろう。話しかけんなってオーラを出して、家の中の雰囲気を悪くしていたかもな。そんなふうに思うことがたくさん出てきたんです。
「全責任はぼくが持ちます」
ところが、そんな折、社長が病に倒れてしまう。途端に、会社は窮地に立たされた。各自が目の前の仕事に追われ、互いの連携は相変わらず皆無。雰囲気も険悪になった。
ほどなく社長は復帰したものの、今までのように働ける確証はない。この先、会社をどうしていくのか。誰が後を継いでいくのか。判断を迫られることになった。
二人の先輩は、「社長のように回す自信はない」「私も無理です」。社長も、無理に後を継がせるつもりはない様子で、会社を畳むことも現実的な選択肢となりました。でも、私の気持ちは違いました。社長がどんな思いで会社を守ってきたのか。自分たち社員に、どれだけの思いをかけてくれていたのか。正直、霊友会をやる前の私なら、「分かりました。どうせ自分たちには出来ないですし、辞めたらどうですか」と、平気な顔をして言っていたに違いありません。でも、そうはしたくなかった。
先輩たちには、「全責任はぼくが持ちますから、技術的なことや他の部分で、協力してください」と話し、社長に、「ぼくに後を継がせてください」と訴えました。社長から、「分かった。但し2年間はお前の仕事ぶりを側で見る。それで最終的に判断するぞ」と言われ、私も、会社も、新たなスタートを切りました。
中嶋さんは、ずっと避けてきた、「人と関わること」に、会社の中で取り組んでいった。
毎朝、自分から進んで会話をする。仕事の相談を積極的に持ちかける。すると、「確かにそっちの方がいいね」「これはこうした方がいいよね」などと、お互いに助け合うシーンも増え、徐々に仕事がうまく回るようになっていきました。
同じように、家族に対する態度をあらためていくと、父から、「最近なんか変わったな」と言われるようになりました。父も、今日はこんなことがあったと話すようになったり、母は、確執があった姑との関係が良くなったりと、家の中が変わってきたんです。
仕事も、家族も、全部一緒なんだと思います。どれだけ相手の気持ちを汲くめるか、相手の立場に立てるか。私自身、家族との関わり方が変わってきたからこそ、仕事に対する向き合い方も変わってきたんやと、今となっては思いますね。
働き方をより良く変えていく。それは、自分の生き方をより良く変えていくことに他ならない。
今、毎日が充実していて、生きていて楽しいなって。親も大変だったろうな、ここまで育ててくれてありがとうって気持ちになれました。
社長からは、仕事ぶりはまだまだやぞと言われています。一日も早く安心してもらえるような会社にして、育ててもらった恩を返せるように、これからも頑張っていきます。
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