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2025.3.1

「父との関係を変えたい」
その思いがきっかけだった

青年部部長代理 神崎泰充

仲間がたくさんできる。自分が成長できる。そんな霊友会の教えの素晴らしさを実感する一方で、ずっと心に引っかかっているモヤモヤがあった。それは―。

 

ぼくは、いつも優しい祖父母が好きで、霊友会の教えを実践し、一生懸命人のために尽くしている姿はぼくの憧れ。昔から変わらず、尊敬している存在です。

そんな祖父母に子どもの頃から連れて行ってもらった霊友会のつどいの場で、同世代の友達が増えていきました。年上のお兄さんたちも仲良くしてくれて、毎回楽しかった。つどいは、自分にとって大好きな場所になりました。

中高生のときには、地元のつどいで仲良くなった仲間と一緒に、弥勒山セミナーの運営者に何度も挑戦。参加者の誘導をしたり、コーナーの司会をしたり……。どうやったらみんなに喜んでもらえるのか、一生懸命考えて行動することに、すごくやりがいを感じました。

そして、友達に霊友会の教えを伝えるようになったのもこの頃。大学ではこんなことがありました。まわりに溶け込もうとせず、我が道を行くタイプの友達がいたんですけど、ぼくも彼を苦手だなと感じて避けていました。あるとき、たまたま2人で話す機会があり、彼が、誤解されやすく、友達ができないことを人知れず悩んでいると知ったんです。そんな彼を導き、一緒に霊友会の教えに取り組んでいくと、彼はすごく前向きになり、友達が増えていきました。すごくうれしかった。人って話してみないと分からないことがたくさんあるんだと知って、ぼく自身の成長にもつながりました。


青年部の仲間と。弥勒山や地元のつどいは元気の源

仲間がたくさんできる。自分が成長できる。霊友会の教えってめっちゃ楽しい。そう思うぼくにとって、1つだけ、ずっと心に引っかかっているモヤモヤがありました。それが、父親との関係でした。

|   初めて自分の明確な目的を決めた弥勒山

父は昔からお酒を飲むと気性が荒くなるタイプ。家の中の空気が悪くなることがたびたびあり、ぼくはそれがすごく嫌でした。母が辛そうな顔をしているのも敏感に感じ取っていました。息子たちを怖がらせて、母に苦労をかけて、家族をなんだと思ってるんだ。中高生のときも、大学生になっても、ずっとそういう不満を抱えていたんです。

つどいや弥勒山に参加すると、人のために動いている仲間から刺激を受け、親への感謝を原動力に頑張っている人たちの話を聞いて、俺ももっと頑張ろう。親孝行しよう!と思うんです。でも、その気持ちは母に対してのもの。父に対しては、そんな気持ちは全然湧いてきませんでした。

社会人になって実家を離れてからは、顔を合わせなくていいので父にイライラすることもなくなっていたんですが、いつの頃からか、父から電話がかかってくるようになり、その回数が増えていきました。それも、夜、ぼくが仕事から帰ってきて疲れているタイミング。案の定、酔っぱらって電話をかけてくるんです。

こっちは疲れてんのに、用もないのに電話してこないでほしい。俺は別に話すことなんかない。最初の頃は仕方なく電話に出ていたぼくも、さすがに腹が立ってきて、やがて連絡が来ても無視するようになりました。

父とはそんな状態がずっと続いたまま、昨年、10月に開催される支部の弥勒山大祭が迫っていたときのことです。祖母から、「今年はおじいちゃんが亡くなった年だし、最近は家族みんなで弥勒山に参加していなかったから、みんなで行こう」と言われました。

祖母の思いを無下にはできず、両親を弥勒山に誘ってみると、父は仕事があるから行けないという返事。でも、ぼくは残念だとは思いませんでした。普段から霊友会の行事にあまり参加していない父は、どうせ行かないだろうなと思っていたから。ぼく自身も、一緒に参加する青年の仲間たちのことのほうが大事で、頭の中は彼らのことでいっぱい。父のことなんて、どうでもいいとさえ思っていたんです。

そんな気持ちで参加した弥勒山でしたが、なぜか目に留まるのは親子で参加している人の姿。気になるのは、親との関係について語る人の話。そのたびに、どうしても父の顔がちらつくんです。そして、親子で一緒に参加してうれしそうなまわりの青年の笑顔や、霊友会の教えに取り組むことで親子関係が良くなったと語る発表を聞いていると、ぼくも父と一緒に参加していたら何か変わったのかなと思えてきたんです。

やっぱり、いつまでもこのままでは良くない。自分の中で、父との関係を前に進めていきたい。そう思いました。これまでの弥勒山では、人のために動くという決定(けつじょう)を何度もしてきたけど、初めて、父との関係を変えるために導きの修行に取り組むことを決意しました。

|いつのまにか、嫌な部分にしか目を向けなくなっていたんじゃないか


恩師小谷喜美先生五十五回忌御法要(祥月命日)で体験を発表した

下山後、早速職場の同僚に声をかけました。その方は数年前に一番下のお子さんを亡くされていました。それが原因かは分からないのですが、お子さんが生まれた頃はすごく仲が良かった姑さんとの関係が悪くなって、もう何年も会っていないと聞きました。

お子さんを亡くされて、どれだけ辛い思いをしてきたんだろう。仲の良かった家族とも疎遠になってしまい、どれだけ哀しい思いをしてきたんだろう。亡くなったお子さんの供養のために、その方が幸せになるために、一緒に霊友会の教えをさせてもらいたい。すぐに「一緒にやりましょう」と伝え、導きました。

会員になったその方のために自分に何ができるかを考え、まずは、相手の家に足を運んで、一緒にお経をあげることから始めました。そして、お経をあげた後にいろんな話をする、2人のつどいを始めたんです。

そこでは、ぼくも自分の家族のことを話しました。父に対してずっと不満をもっていたこと。でも、変わりたいと思っていること。すると、その会員からこう言われたんです。「そんなに父親のことが嫌いなのに、ほっとけないんだね」と。

その言葉を聞いて、ぼくはドキッとしました。気性の荒い父親の姿が嫌だったのは間違いない。でも、ぼくが見てきた父親の姿はそれだけだったんだろうか、と。そして、子どもの頃からのいろんな思い出が蘇ってきたんです。

美味しい料理を作ってくれたこと。ぼくが大好きなバスケットボールをやることを、すごく応援してくれたこと。霊友会の教えには積極的じゃない父が、ぼくが受験をするとき、無事に力を発揮できるようにと一生懸命念願してくれたこと。そういう愛情深い父の姿も見てきたはずなのに、いつの間にか、父の嫌な部分にしか目を向けなくなっていたんじゃないか。そう思えてきました。

それだけではありません。つどいや弥勒山に参加しない父を、ぼくは否定していました。俺は積極的に参加して、まわりの人に声をかけて、人のために一生懸命頑張っているぞ、父はどうなんだ、家族に嫌な思いをさせてばかりじゃないか、って。でも……。

息子からそんなふうに思われて、距離を置かれて、父はどれだけ寂しかったんだろう。孤独だったんだろう。頻繁に電話をかけてきたのも、もっといろんな話がしたかったからなんじゃないか。父へのいろんな思いが、ぼくの中にこみ上げてきたんです。本当に申し訳なかった。悪いのは父だ、変わらなきゃいけないのは父だとずっと思ってきた。だけど、そうじゃなかったんだと気づきました。

先日、父に会いに行ってきました。たわいもない会話だけど、ぼくにとっては大きな一歩。それ以来、ぼくからも連絡を取るようになったし、父からもまた連絡が来るようになりました。今、ようやく親子らしい話をし始めたところです。

「父との関係を変えたい」。その思いから、導いた会員とのつどいの中で、ぼくは大切なことに気づくことができました。自分なりの目的をもって霊友会の教えを実践すること。まわりの人に声をかけ、導きに取り組む中で、自分を見つめ直していくこと。その中に、未来を変えていくきっかけがある。そう実感しました。

父と一緒にお経をあげたり、つどいをできるように、もっと自分の心を磨いていくために、たくさんの人に声をかけていきます。自分の実感、自分の体験をもっとたくさんつかんで、まわりを引っ張っていける、世の中に貢献する青年になっていけるように頑張ります。