Voice

2021.10.1

声にコンプレックスがあった私が
アナウンサーに。
その人生の転換とは?

自分の夢を掴み女子アナになった一人、東京都に住む髙鳥優子さん。小学校の頃は、アニメの『アタック№1』を見て、バレー少女に憧れる女の子だった。

「小学校、中学校と地元の学校を卒業し、都立高校に入学しました。その頃、日本はバレーボールブームが続いていて、私も中学校からバレーを始めて、高校でもキャプテンを務めていました」。

 そう話す髙鳥さんだが、心の中ではバレーの他に本当に心から打ち込めるのが何かあるんじゃないか。本当に私は輝いているんだろうかと、いつもモヤモヤした気持ちがあったという。
 高校2年生のとき、友だちに勧められて霊友会に入会。初めて行った釈迦殿で、大勢の会員と一緒にお経をあげたときにその大きな声に驚きを感じた。だが、お経をあげ終わったら、気持ちが落ちついていることに感動した。それからは月に1度のつどいに毎回参加したという。

フリーアナウンサーをしながら霊友会の音訳ボランティアを

髙鳥さんは、小さい頃から自分の声にコンプレックスがあった。同じ年頃の少女にくらべて声がハスキーだったという。
 大学生になり、青年部の仲間と一緒に霊友会の教えを実践していく中で、いつしか、自分は自分でいい、自分の声は私の特徴であり、個性なんだ。自分のこの声を生かした仕事がしたいと思うようになっていく。
「大学の友人がアナウンサー学校に通っていると聞いたときに、私の中でこれだと気持ちが固まったんです。私もアナウンサーを目指そうと思ったとき、私の中にいつもあったモヤモヤした気持ちがすっきりと晴れていました。それからは大学に通いながら、アナウンサー学校にも通ってレッスンを受けました。とにかく夢中になれるもの、自分が一生懸命やってみたいと思ったものが、アナウンサーだったんです」。

髙鳥さんは大学を卒業し、テレビ局の入社試験を受けるも落ちてしまい、大手電機メーカーに入社した。しかし夢をあきらめずに、アナウンサー学校に再入学し、会社が終わってから通い続けた。
 一年が過ぎた頃に、新潟のテレビ局から中途採用の募集があり、入社試験に見事合格。アナウンサーの道が開けた。お天気コーナーのキャスターを担当し、一年後、フリーアナウンサーとなると、日本テレビで『お昼のワイドショー』のリポーターに抜擢され、その後、テレビ東京で夕方のニュースのキャスターを3年務めた。

私はこれまで無我夢中でやってきました。競争の世界だから、周りからいろいろ言われたりすることもあったけど、霊友会の教えがいつも心の支えでした。
 新潟のテレビ局に就職したときも、支部のつどいにいつも参加させてもらっていました。寒くてもちゃんと寒行もしてたんですよ。
 周りの人に支えてもらってきた恩を、今度は私が自分にできることで恩返しさせていただきたいと思ったとき、私の大事な個性のこの声を使って何かをしたくて、フリーアナウンサーの仕事を続けながら、今、霊友会の音訳ボランティアをしています。
 コロナ禍で音訳ボランティアを中断しておりましたが、こうやってまた、音訳の機会をいただけたことに感謝しています。この声が少しでも人の役に立って、今よりも少しでも優しい社会になってくれたならば幸せです」。