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2021.11.1

崖っぷちの人生からの再出発
― 誰かのために頑張れる

愛知県に住む加藤厚史さん(41歳)は、介護施設でケアマネージャーとして働いている。この仕事は、介護を必要とする人やその家族の相談に乗ること。そして、適切な介護サービスを利用できるように、行政や事業者等との連絡調整を行う。加藤さんがケアマネージャーになったいきさつや、仕事の中で感じていることを聞いた。

※「相談者は、これからの人生の相談をするケアマネージャーを選ぶことはできない。この人で良かったと思っていただけるように、その人の立場になって一緒に悩み、考え、何が1番なのか二人三脚で進めることを大切にしています」と話す加藤さん

実は、介護の仕事は30歳を過ぎてアルバイトから始めたのです。知人に今の会社の理事長を紹介してもらったのがきっかけです。
 理事長は「建設業と介護施設の両方の社長と話してどちらかに自分で決めなさい」と、段取りをつけてくれました。
 私は両社の社長と面接をし、「今まで心配をかけてきた母に恩返しがしたい。介護の仕事ならきっといつか役にたつことがある」と考えたのです。

それというのも、私は俳優になりたいという夢をかなえるために、20歳のときに心配する母の反対を押し切って上京し、東京のタレント事務所の門を叩きました。10年頑張ったのですが、売れずに実家に帰ってきたからです。

介護の仕事をさせてほしいと社長に話すと、「介護の仕事は生半可な気持ちじゃ続かない。本当に頑張れるのか?」と。そして、半年間アルバイトとして頑張れば正社員にしてくれると約束してくれたのです。

私の最初の仕事は、利用者の方のお世話をすることでした。食事や入浴の介助などをはじめとして、排泄(はいせつ)の介助もさせていただきました。福祉の専門学校などに通っていない、まったくの未経験者の私にとって苦労の連続でした。
 それでも弱音を吐かずに頑張れたのは妻と娘の存在でした。俳優のギャラだけでは食べていけず、生活のためにしていたアルバイト先で出会ったのが妻でした。

三度の挫折。自分には何もないと思った

彼女もダンサーとして芸能界での活躍を夢見ていました。同じ愛知県出身で話も合い、付き合うようになったのです。そして24歳の時に彼女が妊娠していることが分かりました。

私は子どもが産まれてくることを受けとめきれず、「30歳まで俳優になるために頑張りたい」と言うと、妻は「自分一人でも育てるから」と気丈にも言いました。そして、二人で話し合って籍を入れずに出産することになったのです。

しかし、それからも俳優として活躍することはできませんでした。30歳手前になって、ふと自分を振り返ると、大学受験に失敗し、俳優として成功する夢も叶わない。一念発起して行政書士を目指したが資格取得には至らず…。
 周りの同世代の人たちを見れば、就職をして皆幸せな家庭を築いている。自分には何もないじゃないかと大きな挫折を感じました。

でも、日に日に大きくなってくる娘を抱いていると、自分には家族があるじゃないか、こんな生活をいつまでも続けられない。夢はもうあきらめよう。生活のためにも、安定している仕事に就こうと思ったのです。
 彼女にその気持ちを伝え、「今度こそ籍を入れて3人で一緒に暮らそう」と話し、実家に戻る約束をしました。彼女は「ありがとう」と、ホッとした顔つきで言ってくれました。

崖っぷちからの再出発。家族のためにも負けられない

 アルバイトを8カ月続け、その間にヘルパー2級の資格も取得しました。社長も私の決意を認めてくれて、晴れて社員になれたのです。介護の仕事はとても重労働ですが、やりがいのある仕事です。それでも「うわー。マジか!」と思うようなこともありました。

社員になりたての頃に担当した認知症の利用者の方がいました。その方は、うまく自分の思いを伝えられず、トイレに行きたくても便失禁をしてしまうのです。ベッドだけでなく廊下でしてしまうこともありました。そればかりか、手に着いた便を私の頭に擦り付けたこともあるのです。今ではそんな事にはなれてしまいましたが(笑)。その頃はやっぱり心が折れそうになって、もう続けていけないと思いました。

そんなとき、いつもお世話になっている霊友会の支部長に相談すると、「その人は何も悪気があってしてるわけじゃない、その人のことを真剣に思って接しなさい。お世話をしてあげるんじゃない、させていただいてるんだという気持ちが大切なのよ」と教えていただいたのです。

それからは、その人の行動をよく見て、何を望んでいるのかを考えるようにするうちに、臨機応変に対応できるようになってきたのです。そして、どんな利用者の方でも分け隔てなく介護をさせていただくことができるようになりました。

正社員になって半年が過ぎ、仕事が楽しくなってきた頃。施設の2棟目を建てることになりました。そこでの主任を募ることになり、私は真っ先に立候補をしたのです。周りからは、「まだ早いよ!」なんて言われたりもしました。

「仕事に真剣に取り組み、きっと人のお役に立てるように頑張ります」という気持ちをこめて、毎日お経をあげました。知識も経験も少ない自分でしたが、誰にも負けないように仕事に取り組み、介護の勉強も続けました。新しい施設が完成し主任として昇進することができたのです。

これっていじめ?不満ばかり募らせていた自分

 私はより一層、仕事に張り合いをもって取り組みました。仕事の体制なども、誰もが働きやすい環境になるように努力をしました。私がまだ社員になったばかりの頃ですが、今思えば、「これはいじめ?」って思うようなことがあったのです。

施設ではレクリエーションというプログラムがあります。利用者の人たちのコミュニケーションを図る一環で、健康体操やゲームなどをします。そして我々職員が、何人かで進行役をやるのですが、その日は新人の私が担当でした。

25人の高齢者の方たちを前にしてスタートしたのですが、途中でトイレに行きたいという人が出たり、のどが渇いたとか、それはもうドタバタで、私一人では対応しきれませんでした。
 ところが他の職員は、私を横目に洗濯物を畳んでいるだけなのです。当時は何でこの人たちは仕事をしないのだろうって不満が溜まっていました。ある時、霊友会の先輩に相談をしてみたのです。

先輩は「その人たちのことを非難するばかりで、自分は何もしてないんじゃないか? その人たちの身になって考えてみれば答えが見つかるかもしれないよ」と話してくれました。

私はすぐに気持ちを切りかえることができませんでしたが、先輩の言う通り、不満をぶつけるのではなくて、その人たちの立場になって考え、自分から率先して他の職員の仕事も手伝うようにしました。

すると職員の一人が、「あなたも忙しいのに、私の仕事まで手伝ってくれてありがとう。私は自分の仕事だけで手いっぱいで、あなたが忙しくしていても手伝うことができなかったの。ごめんなさい」と話してくれたのです。

私が主任になってからは、レクリエーションはどんなことがあっても、みんなで協力してやろう。それが利用者の方のためにもなるのだからとルールを作りました。今では利用者からも目が行き届くようになったと喜ばれ、職員同士の結束も強くなりました。

仲間と一緒に二人三脚の毎日

 今から3年前、私が38歳のとき、今の仕事をもう一つステップアップしたくて、介護福祉士の国家資格を取得し、それからすぐにケアマネージャーの資格も取りました。そして、介護ケアのマネージメントをする部署の管理者に昇進したのです。

毎日忙しく過ごす中で、会社の後輩の山田蒼さん(23歳)に霊友会の教えを伝えました。彼は私が入社試験の面接をした人で、以前の私がそうだったように、介護について、まったくの未経験者でした。
 私はケアマネージャーとしての仕事はもちろんですが、現場の職員に介護の基礎を教えたり、技術指導もします。現場で一生懸命に働く山田さんを指導したりしているうちに、山田さんは自分と同じように未経験でこの世界に飛び込んだ私に興味を持ったようで、色々と相談に来るようになったのです。

山田さんは何でそんなに親身になって相談に乗ってくれるのかと不思議がっていました。私は「俺も霊友会の先輩に、仕事の悩みや人間関係のことで色々と相談しているんだ。支部長や仲間がいつも親身になってくれるんだ」と話しました。そして、「この介護という仕事は知らず知らずのうちに、介護をしてやってるんだと勘違いをして、大きな失敗につながることがある。そうならないためにも、相手の立場になって考えられるように、心を磨く必要があるんだよ」と話したんです。

 山田さんはどうすれば心を磨けるのですかと聞くので、霊友会を一緒にやってみないかと声をかけると、山田さんは入会したのです。
 私は今の仕事は、その人の老後の人生を一緒になって考え、その人の立場になって一緒に悩み、より良い人生になるように二人三脚で歩んでいくことなのだと思います。これは支部長や先輩から教えていただいた霊友会の教えそのままだと実感しています。山田さんと二人三脚で、お互いに支え合って人と関わり、人のために行動する仲間の輪を広げていきます。
※会社の後輩の山田蒼さんと
※冒頭の写真:「今は私なんかよりしっかりしてる自慢の息子なんですよ」と話す母親の明美さんと