Voice

2022.7.30

あなたは一人じゃないよー仲間が支えてくれて今がある

橋田由美子さん(50歳)・息子の隼ノ助(しゅんのすけ)さん(25歳)親子は、奈良県にある由美子さんの実家で、由美子さんの兄、弟との4人で暮らしている。由美子さんは隼ノ助さんが1歳になる頃、周りの子よりも成長が遅いと感じていた。

なんでこんなことに…。突きつけられた現実

私は24歳で結婚し、25歳のときに出産しました。元気な男の赤ちゃんでしたが、1歳の誕生日を迎える頃から、少し成長が遅いかなと、私は不安を感じるようになりました。

主人は飲食店に勤めており、朝早く家を出て帰って来るのも夜遅く、私は毎日を一人、不安の中で育児に終われていました。主人は、たまの休みのときも疲れているのか、会話もあまりありません。いつしか二人の気持ちはすれ違い始めていました。

息子が1歳8カ月を迎えた頃、癲癇(てんかん)の発作を起こしました。それでも息子のことは気にもせず、自分のことばかり考えている主人に、私は離婚を決意したのです。私と息子は、家を出て二人でアパー卜に移り住みました。

息子が2歳のとき、医師から発達障がいだと診断されました。なんで自分ばかリこんなことになってしまったんだろう……。現実を受け入れたくない気持ちでいっばいでしたが、息子のためにできることは何でもしようと決意し、療育訓練を受けることにしました。毎月、その時の息子の状態に合わせて新しいプログラムを作ってもらい、運動面や情緒・知的面などの発達を促す訓練を続けました。

しかし息子に一日中付き添って訓練をしても、思うように療育が進まないことに不安と焦リを抱えるようになリました。今思えば、当時の私は、「今なら成長の遅れが取り戻せる、もっともっと頑張って」と、息子に負担を強いていたのでした。

第43回弥勒山「三者のつどい(春班)(5月20日〜22日)に参加する隼ノ助さん

そんな折に、知人から息子の治療に鍼が良いという話を間き、通うことにしたのです。そこで私と同じように子どものためにと針治療に通っていた方から、霊友会の話を聞きました。「先祖供養の教え」だと間いたとき、子どもの頃から実家の仏壇に、お水やご飯をお供えしていたことを思い出し、素直に入会したのです。

息子のためにも自分を変えたいと思った

息子が6歳の誕生日を迎えた頃、母、祖母と続けて他界したことをきっかけに、祖父の面倒を見るため、大阪から奈良の実家の近くに引っ越しました。

私は息子の症状を少しでも良くしたいと、毎日お経をあげ、導きの声をかけ、支部の行事にも率先して参加しました。初めはこの子を連れて行って迷惑にならないだろうか、大丈夫だろうかと思いましたが、私の心配をよそに、支部のみなさんは私たち親子を温かく迎えてくれました。ときには、「隼くんを預かって面倒をみるから、心配しないで行ってきなさい」と、身延・七面山恩師御宝塔参拝登山修行にも送り出してくれたのです。

それに比べて私は、他人の子どもを見ては羨ましいと妬(ねた)み、何で息子ばかりこんなことになってしまったのだろうと僻(ひが)んでいました。自分の思い通りにならない息子に怒ってしまうのを諭されると、息子に躾(しつけ)をしてるだけなのにと思っていた、そんな自分が嫌でたまりませんでした。

日頃からお世話になっていた立見(たつみ)真知子支部長や支部の仲間に支えられることで、肩肘を張ってばかりじゃなく、ときには甘えてもいいんだな。頼れる人がいるって、こんなにも心穏やかに安心できるんだなって思いました。そして息子のためにも自分を切り替えていこうと思うようになったのです。

息子は小学校に入っても、自分の名前も言えませんでしたが、霊友会の妙ー会や青年部で、同世代の仲間と分け隔てなく活動していく中で、明るく元気に育ち、言葉も少しずつですが話すようになりました。そんな息子を見て、息子は息子なんだ、ほかの子と同じでなくていいんだと思えるようになったのです。以前の私は息子を周りの子どもたちと同じようにしてあげたいと思っていましたが、それは私の一人よがりでした。

仲間に支えられて息子とともに成長できた

平成29(2017)、息子は二十歳を迎えました。穏やかだった息子がこの頃から問題行動を起こすようになってきたのです。息子と二人で、導きに出かけたときのことでした。突然、息子は駅の非常停止ボタンを押してしまったのです。「どうして、そんなことをするの。非常停止ボタンを押したら危ないでしょ!」。駅のホームでボタンをまた押そうとする息子を必死に抑えようとしましたが、成長した息子は私よりも身長が高く力も強い。そんな息子を止めるのは簡単ではありません。「なんで、他人(ひと)を困らせるようなことをしてしまうの……」。何事かと駆け付けた駅員さんに私は謝ることしかできませんでした。

息子は自分の感情をコントロールできずに、人の家の車のボンネットをバンバンと叩いたりすることもありました。「人様に迷惑をかけてばかり。何か大事に至ってしまったらと思うと、この子を連れて外に出るのは怖い」と、支部長に泣きつきました。すると支部長は「どこでも一緒についていって、私も一緒に謝ってあげる。それよりも、どうして隼くんがそんな行動をするのか考えてあげたことがある?」と優しく諭してくれました。私は思わずハッとしました。思い当たることがあったのです。

日頃お世話になっている立見支部長(左)。第二十五支部議堂前で

平成29年(2017)9月、父ががんで亡くなりました。生前、父は金型を成型する会社を経営していたのですが、不況のあおりで会社は倒産。平成24年(2012)にはがんを発症し一線を退きました。実家の弟が飲食店を始めたのですが上手くいかず、父の治療費もかさみ、借金が膨れ上がってしまっていました。

この頃から父の面倒を見るために、足繋く実家に通っていたのですが、余命わずかな父の介護や借金のことなどで、家族で喧嘩の絶えない日々が続いていました。息子はそんないがみ合う家族の様子をはたで見て、心を痛めていたのです。私は息子に、「嫌な気持ちも言っていいんだよ、我慢させてしまってごめんね」と心から謝りました。それ以来息子の問題行動は少しずつ収まり、明るく穏やかになりました。

私は支部長をはじめ、支部の仲間に支えられ、助けられ、息子と共に成長することができました。もし、霊友会に入会していなければどうなっていたか…。今度は私と同じように一人で悩んでいる人たちの助けになり恩返しをしたい。この霊友会の教えを伝え、あなたは一人じゃないよと支えられる自分になりたいと思っています。