Voice

2025.2.1

辛いとき助けてくれたのは、バカにしていた兄―
人の思いにふれたとき、すべてが変わりはじめた

愛知県 和田隼輝さん 25 歳

仕事に励み、青年部活動を頑張っていた2年ほど前のこと。和田隼輝さんは、メンタルブレイクを起こした。体調が優れず、精神的に追い込まれていたそのとき、和田さんが目にしたある人物の姿とは―。

|   お兄ちゃんは何もできない。俺のほうがすごいんだ

「自分で言うのもなんですが、ぼくは子どもの頃から明るくて元気なタイプ。教室では、いつも友達に囲まれ、みんなでワイワイ楽しく過ごしていました。中学・高校では部活で大好きな野球に打ち込みながら、まわりの推薦で生徒会の役員も。毎日、友達とバカ話で盛り上がったり、同じ目標に向かって仲間と泣いたり笑ったり、みんなをまとめてリーダーシップを発揮する難しさと面白さを学んだり……。充実した学生生活でした」。

そんな和田さんにとって、家族で実践していた霊友会の教えは、物心がついたときから身近なもの。部活が忙しく、弥勒山には参加できなかったが、引退した高校3年生の秋、久しぶりに参加した。そこで、当時、支部の学生部責任者を務めていたSさんと出会った。

「高校を卒業したら車関係の仕事に就こうと考えていたぼくは、どの職種がいいかを決めあぐねていました。そのことをSさんに話すと、『車に関することでも、特に何に興味があるの?』『じゃあ、こういう職種はどう?』と、丁寧にぼくの思いを聞いてくれ、アドバイスしてくれたんです。おかげでやりたい仕事が明確になり、今の会社に就職することができました」。

また、Sさんから誘われ、支部の学生部執行部になった和田さん。4年前からは、Sさんの後任として学生部責任者を務めている。

「はじめは戸惑うことばかりでした。ぼくが過ごした学生時代と、全然違う境遇の中高生がたくさん。何か相談されても、なんて言えばいいんだろう、うまくアドバイスできるかな、って。でも、ぼくにでも、話を聞くことはできる。そう思って、『ぼくの場合はこうだったよ』と、自分の経験を伝えることを心がけてきました。『あのとき話を聞いてくれてありがとう』と言われたときは、本当にうれしかったですね」。


中高生にとって、和田さんは頼れるお兄さんだ(令和6年「青年部弥勒山大祭」から)

中高生に寄り添う良きお兄さんとしても成長していった和田さん。そんな彼を語る上で、欠かせない人物がいる。それが、兄の隆志さんだ。

「ぼくは3きょうだいの末っ子です。姉は8歳も離れているので少し遠い存在でしたが、4歳上の兄とは、幼い頃からキャッチボールをしたり、いつも一緒に遊んでいて、ずっとそばにいる存在でした。

実は兄は、生まれつき心臓に病気をかかえています。負担がかかるからとプールの授業は休んでいたし、体調を崩して何日間も学校を休んだり、短期入院することも時々ありました。それが原因で、クラスになじめなくて友達があまりできず、勉強も遅れ気味に。また、兄は野球をやっていましたが、なかなか思うように上達しませんでした。調理の専門学校を出た後も、職場の人間関係に悩んで転職したりと、順調とは言えない人生を歩んできました。

そんな兄よりぼくのほうが、友達も多い。野球も上手い。先生にもたくさん褒められてきた。“お兄ちゃんは何もできない。俺のほうがすごいんだ”と、昔から兄のことをバカにしていました」。

|   どれだけ辛い思いをしてきたんだろう
         どれだけ苦労してきたんだろう

今から2年ほど前のこと。仕事も順調で、学生部責任者として相変わらず頑張っていた和田さんだったが、突然、心身に不調をきたしてしまう。

「次の弥勒山に、去年より多くの中高生に参加してもらいたい。友達に声をかけ、導きに取り組んでいる支部の中高生に、いい結果をつかんでもらいたい。そう思って頑張っていた時期でした。でも、なかなか思うような結果が出なくて……。どんどんプレッシャーが増していって、とうとう、体調を崩してしまいました。

それから数日間は、頭痛と吐き気が止まりませんでした。仕事には何とか行ける程度まで回復したあとも、休日は何もしたくない。家から出たくない。辛い。しんどい。そんなふうに思ったのは、生まれて初めてのことでした。そんな状態が1カ月以上続き、どうしようもない絶望感に苛まれていたとき、両親と兄が、ぼくが元気になることを願って一生懸命お経をあげている姿が目に飛び込んできたんです。

両親が、兄が、どれほどぼくを心配しているのか。そのことに初めて思いを馳(は)せた瞬間、涙が溢れてきました。ぼくのために、一生懸命念願を続ける兄。その姿を見ていたら、子どもの頃からの2人の思い出が蘇ってきたんです。

兄弟ゲンカをしても、必ず自分が折れて、ぼくに謝ってくれた兄。ぼくが少しでも落ち込むことがあると、カラオケやバッティングセンターに連れて行ってくれた兄。昔からずっと弟思いの優しい兄でした。それなのに、兄なら弟のためにそうするのは当たり前だろうとさえぼくは思っていたんです。

兄は、病気のせいで今までどれだけ辛い思いをしてきたんだろう。どれだけ苦労してきたんだろう。兄の気持ちを少しも考えず、自分には関係ないって顔をしていた。なんて申し訳ないことをしてきたのか。涙が止まりませんでした。

不思議なことに、その日を境に体調は回復していきました。そして、今までの自分を見つめ直していくと、昔から母に言われていたある言葉をよく思い出すようになったんです」。

|   今度は自分が兄を助ける番だ!

「兄は、ぼくより前から学生部執行部をしていて、ぼくが責任者になってからも続けていました。でも、人と話すのも、人前に立つのも苦手で、いつも裏方的な役割。今思えば、そういうところでも、どこか兄を下に見ていた気がします。そんなぼくに、母はよく言っていました。『お兄ちゃんにはお兄ちゃんの、あなたにはあなたの役割がある。あなたは人前に立って、みんなを盛り上げるのが得意。お兄ちゃんは苦手かもしれない。でも、お兄ちゃんは人の気持ちをすごく思えるのよ』と。

その意味がやっと分かった気がしました。ぼくが健康に恵まれて、いろんなことを頑張ってこれたのは、自分1人の力じゃなかったんだな。ぼくの成長や活躍を念願してくれた家族、支えてくれた人がいたからなんだな。そう気づいて、感謝の気持ちが湧いてきたんです。それから、今の自分にできることを精いっぱいやろう!と、再び前向きな気持ちで中高生と関わるようになりました。

また、自分自身も、もっとまわりの人を思える人間になっていこう。そう思い、体調を崩していた同僚や、仕事を辞めて悩んでいた中学時代の友達に霊友会の教えを伝え、導きました。そうやって少しずつ前に進んでいこうと、今、兄弟で一緒に霊友会の教えに取り組んでいます」。

もう一つ、和田さんを奮起させることがあった。昨年、隆志さんが仕事のストレスでうつ病と適応障がいと診断されたのだ。

「今度は自分が兄を助ける番だ! 兄の病状を聞いた瞬間、そう思いました。毎日、兄と会話する時間を設け、1日でも早く回復するように、一生懸命お経をあげて念願を続けました。その後、紆余曲折があって現在は休職中ですが、兄はかなり元気になりました。自分がそうしてもらったように、兄の幸せを願って、これからも寄り添っていきます」。


令和6年「第十四支部弥勒山大祭」で自身の体験を発表した

|   「自分自身の人生のために」
         動き出した兄の心

1月19日に開催された、釈迦殿「青年部新年大会・成人式」。そこに、和田さん兄弟の姿があった。弟に対して、昔からどんな思いをもっていたのか、今、何を感じているのか。兄・隆志さんに話を聞いた。

「隼輝はみんなの人気者で、スポーツもできて、すごいな、うらやましいなって思っていました。イケメンですしね(笑)。でも、嫉妬はなかったです。親の影響か分からないけど、弟を助けるのは当たり前だと思うし……。それに、縁の下の力持ちというか、まわりの人の支えになることは、自分にとってはすごく自然なことだった気がします。ただ……。

自分が助けられる側になって、俺、人に弱音を吐けない、頼るのが苦手だったんだなって気づいたんです。今日、釈迦殿で青経巻を読誦しているとき、涙が溢れてきて……。変わりたいって思いました。もっと自分をさらけ出せるようになりたいし、人前でも話せるようになりたい。仕事にしても、結婚や将来のことにしても、今まで無意識にあきらめていたこともあったと思います。いろんなことに挑戦したいから、自分自身の人生のためにこの教えに取り組んでいこうと思いました」。

兄の言葉を隣で聞いていた弟・隼輝さんは―。

「そんなことを思っていたなんて……。一緒に参加できて、本当に良かったです。自分の人生も、関わる相手の人生も大切に思って、ともに未来を切り拓いていける人間に成長していきたいです。これからも兄弟で助け合って、力を合わせて頑張っていきます」。


先日の釈迦殿「青年部新年大会・成人式」にて。兄・隆志さんと一緒に