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2024.4.1

幸せになってもらいたい。その一心で行動し続ければ、必ず道は拓く!

京都府 中野正康さん 32

地域や社会に貢献する仲間の輪を広げていきたい―。大きな志をもち、日頃から積極的に霊友会の教えをまわりの人に伝えている中野正康さん。そのような思いに至るまでには、いろんな人との関わりがあった。

中野さんの心を大きく変えた体験、今の思いを聞いた。

|   真剣にお経をあげる。霊友会の教えを伝え、導く。
          その中で芽生えた熱い気持ち

私は両親、姉、妹との5人家族で育ちました。寡黙(かもく)で、1本芯の通った厳格な父。細やかで、いろいろな気遣いができる母。質素倹約な家庭で、真面目にコツコツ生きている両親をずっと尊敬していました。

そんな両親が熱心に取り組んでいるんだから、霊友会はきっといい教えなんだろう。子どもながらにそう感じていて、お経をあげることはもちろん、つどいや弥勒山に参加することは、私にとってごく自然なことでした。そして、中高生の頃に、より積極的に教えに取り組むきっかけがあったんです。

中野さんは元々、繊細で内向的な性格で、積極的に人前に出たり、自分の意見を言うのは苦手だった。その反面、まわりをサポートする役割は好きだったという。

中学校で先輩から誘われた生徒会で、3年生になるときに生徒会長に任命されると、「自信はないけど、みんなの役に立てるなら」と引き受けた。ところが……

学校をより良くしようと生徒会の役員会合でいろんな企画を提案しても、「新しいことをしないで、年間行事をこなせばいいやん」と、まわりの反応は冷ややかでした。せっかく勇気を出して意見を出したのに、次も否定されたらどうしようと不安になり、会合に出るのが怖くなってしまったんです。

そんなとき、母から、「真剣にお経をあげてみたら」とアドバイスされました。最初は、お経は毎日あげているし、今更何が変わるんや?と疑問に思いました。でも、何とかこの状況を変えたい。とにかく、やってみよう! そう決めて、生徒会のみんなと力を合わせて前に進んでいけるようにと、一生懸命、心を込めてお経をあげるようにしたんです。

すると、私の雰囲気が変わったのか、必死さが伝わったのか分かりませんが、翌日から、生徒会の一人ひとりが積極的に意見を出してくれるようになったんです。会合の雰囲気がまるで違いました。

そのときみんなで話し合って決めた挨拶運動を1年間続けていくと、元気に挨拶を返してくれる人が1人、また1人と増えていき、学校も活気づいていきました。お経を真剣にあげると、すごい力をもらえるんやな。苦手なこと、怖いと思うことからも逃げずに、この教えを生かしていけば、まわりも変わっていく。そう実感したんです。

以来、弥勒山の運営者にも挑戦するなど、新しいことに積極的に挑戦していった中野さん。霊友会の教えで得た感動を、友達にも伝えるようになった。すると、新たな発見があった。

高校の同級生のNくんは、両親が離婚し、母親と2人で暮らしていました。彼に霊友会の教えを伝えて、家に呼んで家族を交えてつどいをしたときのこと。帰りに、「今日どうだった?」と感想を聞くと、「正康の家族がうらやましい。うちもあんな家族になりたい」と彼が言ったんです。

思わずハッとしました。私にとって当たり前の日常が、Nくんにとっては決して当たり前じゃないんや、と。

両親がいること。毎日、家族そろって食卓を囲むこと。それってありがたいことだったんやな。それなのに、まわりの家と違ってうちはああやこうやと、不満を抱いたこともあって申し訳なかった。いつもそばにいてくれる両親、家族の存在ってほんまにありがたいなと、感謝の気持ちがこみ上げてきました。

そして、Nくんのような思いをしている友達が、他にもいるかもしれない。

そんな人たちの力になりたい! 熱い気持ちが芽生えてきて、いろんな人に声をかけ、霊友会の教えを伝えるようになっていったんです。

|   会員が笑顔になってくれて本当に良かった。
          自分が変われたときより何倍もうれしい!

中野さんは生徒会活動やNさんとの関わりの中で得た実感を胸に、社会人になってからも、熱い気持ちで人と関わっていった。その中で、今も中野さんの行動の大きな原動力となった体験があった。それが、Tさん親子との関わりだ。

2歳下のTさんとは、私が高校生のときに参加していたNLA運動の仲間を通じて知り合いました。彼女と数年ぶりに再会したのが、今から10年ほど前のことです。

Tさんはとても複雑な家庭環境で育ち、当時、父親と2人で暮らしていました。「毎日のようにお父さんとケンカが絶えなくて、ほんまに辛い」。そう話す彼女を見て、放っておけませんでした。「絶対に変わるから一緒に霊友会をやろう」と伝えると、Tさんは「やりたい」と言いました。

ところが、思わぬ壁が……。彼女の父親が猛反対だったんです。Tさん家族には絶対に幸せになってもらいたいし、ここで引き下がることはできない。彼女の父親にも霊友会のことを分かってもらおうと、勇気を出して家に足を運ぶようになりました。

最初は、「何しにきたんや」と相手にされず、門前払い。それでもめげずに何度も通いましたが、怖い顔で睨(にら)まれたり、怒鳴られたり……。家に行く度に、なんでこんな思いをしないといけないんやと、心が折れそうになりました。でも、ここで逃げたら、Tさんの力になれない。お経をあげて自分の心を奮い立たせて会いに行き続けました。

すると少しずつ、Tさんの父親が話を聞いてくれるように変わってきたんです。あるとき、「中野くんの言う霊友会ってなんなん?」と聞かれ、私は、「霊友会は父方と母方双方の先祖を供養できる教えで、世の中を良くしていくために、世界平和のために活動しているんです」と、自分なりに一生懸命、伝えました。そのときは、「ふーん」というそっけない反応でしたが、話を聞いてもらえて良かった。また頑張ろうと思いました。

そんなことを続け、1年ほど経った頃でした。Tさんの父親が、「霊友会の場に、1回俺を連れて行ってくれへんか」と言ってきたんです。私はその場ですぐに、「今度大阪でつどいがあるんで、一緒に行きましょう」と約束しました。

それから当日までは、もし、つどいに参加して悪い印象をもたれたらどうしようと気が気でなりませんでした。少しでも、霊友会の良さが伝わるようにと、必死にお経をあげて、当日を迎えました。

あまりにも緊張し過ぎて、私自身、そのときのつどいの内容はよく覚えていないほどでした。ですが、帰りの車内で、恐る恐る感想を聞いてみたんです。すると、Tさんの父親が、「ものすごく感動した」と言ってくれました。つどいの中で聞いた、恩師久保角太郎先生の開教の精神や、人や社会に尽くされてきたエピソードを聞いて、感銘を受けたそうなんです。良かった……。思わずホッとしました。そして、勇気を出すなら今やと、「ぜひ一緒に霊友会をやりませんか」と言うと、二つ返事で、「一緒にさせてもらいます」と入会しました。

それから、Tさんと、彼女の父親と一緒にお経をあげたり、つどいに参加するようになると、Tさんの父親の雰囲気が見る見る変わっていったんです。あんなに怖かった表情が柔らかくなり、すごく接しやすくなりました。そればかりか、Tさん以上に教えに積極的に取り組むようになり、近所の人に霊友会の話をするようにもなったんです。近所の人たちからも、別人のようになったという声が聞こえてくるほどでした。

またあるとき、「教えを伝えたい人がいるので、中野くんにも来てほしい」と言われ、一緒に声をかけに行きました。その人には断られましたが、自分の言葉で一生懸命思いを伝えるTさんの父親の姿を見て、人ってこんなに変わるんやなと感動しました。

そして、ケンカもなくなり、穏やかな生活を送れるようになって、「ありがとう」と喜んでくれたTさん。彼女が笑顔になってくれて本当に良かった。自分が変われたときよりも、何倍もうれしい。今まで感じたことがないほどの喜びで胸がいっぱいになったんです。そして、どんな困難があってもあきらめないで、相手に幸せになってもらいたい一心で行動し続ければ、必ず道は拓く。そう自信を得ることができました。


「社会の一員として、自分が暮らす地域や働く職場、そういう身近なところから人の役に立てる自分になって、いろんな人と力を合わせて社会に貢献していきたいです」

今、第八支部青年部責任者として、多くの仲間とともに、地域や社会に貢献する青年の輪を広げようとますます精力的に活動している中野さん。

自分1人の力では、今の私は絶対になかったです。自分が導いた会員との関わりがあったからこそ、成長することができました。

そして、教えにまっすぐ取り組む背中を見せ続けてくれた両親や、支部の先輩、仲間はもちろんのこと、どんなときも温かく見守ってくれて、人のために尽くす姿を示してくれた、支部長夫妻の存在がものすごく大きかったんです。自分たちのことはさておき、日々会員のために駆け回っている姿。会員に対して、ときに優しく、ときに厳しく、いつも力強く背中を押してくれる。一番のお手本が近くにいたんです。支部長夫妻の姿勢を指針として、私も支部長のように、もっと人を思える人になっていきたいです。

多くの先祖、たくさんの人のおかげで今の自分がある。その感謝を忘れずに、会員や仲間と一緒に、地域社会、ひいては世界の平和に向かって行動していきます!

中野さんが「こういう人になりたい」と尊敬してやまない支部長夫妻と、弥勒山にて