Global Voice

2025.8.1
突如訪れた離婚の危機。
人生最大のピンチがチャンスに変わったワケ
カルラ・バルビエリさん 28 歳 ブラジル

| 彼氏のお母さんに誘われて断るに断れず。
それがすべての始まり
「もう離婚する!」。昨年4月、結婚してわずか1カ月で夫がそう言って家を飛び出しました。私にとって人生最大のピンチ。途方に暮れるしかありませんでした。でもそのおかげで、夫と共に私は今の幸せを手に入れることができたんです。どん底の状態からどうやって立ち直ることができたのか、お話したいと思います。
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私が2歳のとき、両親が離婚。別々に暮らす父と母の家を、半年おきに行ったり来たりする生活が始まりました。ただ、母が違う町に住んでいたので、私は自然と父と過ごす時間が長くなっていきました。子どもの頃は母のいない寂しさを感じていたものの、母と会うことなく6年が過ぎた20歳の頃には、母のことを好きとか嫌いとか考えることすらなくなっていたんです。
霊友会の教えに巡り合ったのは、そんなときのこと。当時交際中だった夫の母親であるサンドラ・バルビエリ支部長から導かれました。「人生をより良くしていくことができるよ」と言われたんですけど、それよりも彼氏のお母さんから誘われたら断れるはずもなく(笑)。軽い気持ちで入会しました。

導きの親である義母のサンドラ・バルビエリ支部長と
初めてあげたお経は、気持ちがスーッと軽くなるような不思議な感覚。義母の勧めでその体験を友達に伝え、導きにも取り組むようになりました。少しずつ会員も増え、霊友会の教えにも前向きに取り組むようにはなりましたが、何か困ったことがあると真剣になるものの、状況が良くなれば気持ちが離れてしまう。そんな状況がしばらく続きました。
| 「私が言ってあげている」。
常にマウントを取っていた自分に気づいた
実は、夫とはお付き合いをしている頃からケンカばかりしていました。霊友会に入会した20歳のとき、私は大学の法学部で学びながら裁判所で研修生として働いていて、自分は優れた人間だと思っている節もありました。私は元々、ワガママで負けん気が強く、何でも自分の思い通りに進めたいタイプ。少しでも気に入らないことがあると、起業し、社長として会社を切り盛りしていた7歳年上の彼にも遠慮することなく、不平不満をぶつけていました。そんな自分の性格に気づくこともなく、私は常に正しい。間違っているのは相手だと思っていたんです。
それは大学を卒業し、裁判官アドバイザーとして働き始めてからも変わらず。気に入らないことがあると一方的に怒り出すような状態でした。そして昨年4月、これまでにない大ゲンカになった結果、とうとう彼から愛想をつかされてしまったんです。
激しく動揺した私は、すぐに義母に連絡。助けてほしいと泣きつきました。義母からは「あなたが間違っている。会員のお世話ができてないからよ」。そう厳しく指摘されました。そして、親支部長であるアンドレイア支部長が、私の家に泊まり込んで支えてくれました。夫は1人で頭を冷やして落ち着いたのか、4日後に戻ってきました。でも安心することはできません。私は共にこれまで以上に真剣に教えに取り組み始めたんです。
毎朝5時に起きてお経あげ、仕事の行き帰りに会員を訪ねたり、導きをしたり……。期間を区切った修行をしようと、100日間、毎日続けました。その中で、ある会員から「そんなに怒ったように命令されると、話を聞く気になれない」と、ハッキリ言われてしまったんです。
すごくショックでした。私はただ、会員に良くなってほしいと思って、「こうすればいいよ」と、気になったことを伝えていただけなのに……。でもそのときハッとしたんです。夫を追い詰めていたのは、私のこういう性格だったんだと。
思い返せば、私は常に人間関係でマウントを取ろうとしていました。言葉の一つひとつが強く、上から目線。だらしない夫に私が教えてあげているとさえ思っていました。会員に対しても、「あなたのために言ってあげている」。そんな意識があったと思います。相手がどれだけ傷ついていたのかも知らずに……。以前、「人の話を聞かず、言葉が乱暴だ」と支部長から指摘されたことがありましたが、その意味がようやく分かったんです。
| 霊友会の教えが、他人の痛みを知る心を育んでくれた
夫をはじめとする、他人への私の言動が変わり始めたのはそれから。相手が私の言葉をどう受け止めるか。そこに気持ちが向けられるようになったんです。私が変われば、まわりも変わりました。あれだけケンカしていた夫とは、ウソのように穏やかに過ごせるようになりました。信じられないくらい積極的に教えを実践し、幸せになっていく会員が増えました。そうしたみんなのおかげで今年、私は支部を拝受します。

サンパウロで行われた支部長研修会で、意見を交わすカルラさん
実はこれまで真剣に向き合ってこなかったことがあります。それは、私たちの家系は代々、家族関係に恵まれないということです。やむを得ない事情で離婚せざるを得なかった祖母。2歳の子どもを抱えて離婚した両親。叔父と叔母も家族の問題で大変な苦労をしました。「そんな家系の問題は、私の代で終わりにする!」。今、そう決意しています。
もし夫が家を出ていなかったら、私は両親のように離婚していたかもしれません。離婚の危機を迎えたからこそ、この教えを通して私は自分を見つめ直すことができ、一歩も二歩も前に進むことができました。
自分自身の幸せのため、会員の幸せのため、そして先祖のために。これからもこの教えを多くの人に届け、本当に幸せだと胸を張れる家庭の輪を広めていきます。




