Global Voice

2022.3.1

人に喜んでもらえると、
私も元気になれる!

グラフィックデザイナーとして働くバンダナ・シャルマさん(45歳)は、インド東部の都市シリグリで、夫と娘、夫の母と妹の五人で暮らしています。彼女は会員と一緒に、恵まれない子どもたちへの食糧支援やハンセン病患者への介助など、様々な社会奉仕活動に取り組んでいます。そんなシャルマさんに話を聞きました。

私は7年前、母を胆のうがんで亡くしました。母の死後も、「他に私にできることはなかったのか。もっと親孝行をしてあげたかった……」そんな後悔の念から、仕事に身が入らず、ネガティブなことばかり考えていたのです。心にぽっかりと穴が空いたようでした。

しかし、母の死を悲しんでばかりいられる状況ではありませんでした。私は仕事と、当時9歳だった一人娘の子育てに明け暮れる毎日だったからです。私たちの家庭は裕福とは言い難く、娘の健やかな成長のためにも、自営業を営む夫と共に働き詰めだったのです。

お経をあげると、亡くなった母を近くに感じて…

母が亡くなった翌年のことです。同じ街に住むチンモイ・ロイ支部長から、霊友会の教えをやってみないかと声をかけられました。彼から「先祖に毎日お経をあげて感謝すること。そして自分を改め、家庭や社会を平和にしていくこと。それが一番の先祖供養になるんだよ」と教えてもらいました。私は、自らの手で母の供養が毎日できること、そして自分の成長と先祖供養が一体であることに感銘を受けて入会しました。

自宅に総戒名を納めてもらい、拙いながらも毎日お経をあげていると、いつも優しかった母の姿を思い出すのです。母はいつも私や姉妹たちのことを一番に考えて育ててくれました。感謝の気持ちで胸がいっぱいになったそのとき、母が、私の近くで見守ってくれているような気がしたのです。

私が落ち込んでばかりいたら、母はきっと心配するはず。私は霊友会の修行に取り組み、ネガティブな自分を改め、明るい家庭を築いていこうと決めました。母も私を応援してくれているような気がしました。

私はこの実感を周りの人に伝えたくて、職場の同僚や友だち、家族に声をかけていきました。自分の体験や、ロイ支部長から教わった教えの実践について伝えると、共感してくれて、入会する人たちが少しずつ増えていきました。

私は実の姉のアルナにも声をかけ、姉は入会しました。そのとき私は、アルナが10年以上前から福祉施設に慰問したり、恵まれない人たちへの食糧支援などに取り組んできたことを初めて知りました。

思えばアルナは昔から、ためらうことなく人助けができる人でした。自分のことよりも他人の幸せを願って行動する姉に感化されて、私も一緒に社会奉仕活動に参加するようになったのです。

私が、姉や娘、会員たちと一緒に、地域の老人ホームに慰労に行ったときのことです。そこでは私たちも職員の調理を手伝い、施設利用者の方々と一緒に食事をしながらお喋りをします。利用者の方々は、私たちがまるで実の子どものように接してくれました。

あるお年寄りの女性は、私たち親子を見て、「私の孫娘と同じ歳だね」とつぶやいて、ぽろぽろと涙を流すのです。私が涙の理由を尋ねると、彼女は「老人ホームに入所してから家族が見舞いに来てくれなくなって、とても寂しい」と話してくれました。

彼女のような境遇は施設内でも珍しくないそうです。私は、孤独に苦しむ人たちに元気になってもらいたくて、仕事の合間を縫って、少しでも長く一緒にいられる時間を増やしています。

※路上生活者の、伸びて変形してしまった爪を整え、彼らの健康を守るボランティア活動も

自分のことよりも、人の幸せを願う行動から生まれるもの

私はシリグリ市内にあふれる、路上で生活する恵まれない子どもたちのことも放ってはおけず、彼らへの食糧・物資の支援を行っています。

また、インドではハンセン病*の年間新規患者数が世界の新規患者数の6割を占め、患者への差別や偏見も根強く残っています。私たちはハンセン病患者の施設を訪れ、食糧支援や運動障害がある方の入浴介助、散髪などに取り組んでいます。

そうした活動を通じて、人に喜んでもらえると、自分も元気をもらえます。私の社会奉仕活動の原動力はそこにあるのだと、今は実感しています。

私は社会奉仕活動を通じて、霊友会の教えの精神を人々に広げていきます。その行動がこの国の平和をつくり、母をはじめ、私の祖先にできる親孝行なのだと思います。

※らい菌が主に皮膚と神経を冒す慢性の感染症。発症すると手・足・顔面の変形や、皮膚に白斑や紅斑などが現れる。現代医学においては投薬による治療法が確立されているが、医療体制が整っていない発展途上国では依然として患者数が多い。


※老人ホームで姉のアルナさん(左)と一緒に調理を手伝うシャルマさん