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2024.8.1

人生をやり直す道が拓けた
─家族や人の思いに気づけたとき─

アメリカ合衆国 ジョビアナ・アルメイダさん (46歳)


いつも寄り添ってくれる母のテルマさん(右)とジョビアナさん。住む場所は変わっても親子の絆は変わらない

私は3人兄妹の長女として、ブラジルのマットグロッソ・ド・スル州で生まれ育ちました。23歳の時に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに移住。異国の地で不安はありましたが、先に渡米した兄妹や遠く離れた両親がいつも気にかけてくれました。

私はこの国で愛する人と出会い、結婚し、3人の子どもを授かりました。穏やかで愛情深い夫と、健やかに育ってくれている子どもたち。たくさんの人たちに支えられ、とても幸せです。

それというのも、霊友会の教えに出合ってから、いろいろな出来事があり、人生を改善させるきっかけに気づくことができたからです。そして、いつも寄り添ってくれた母がいなければ、自分を見つめ直せる霊友会の教えがなければ、この幸せはなかった。今、心からそう思えるのです。

|   二十歳になった私。新しい生活に挑戦してみたかった

子どもの頃は、生まれ育ったカンポグランデ市内で、兄のジョブソン(48歳)や妹のルシアナ(44歳)、たくさんの友達と遊ぶのが大好きだったのを覚えています。明るい父と真面目な母は、私たち兄妹を隔たりなく平等に愛し、育ててくれました。


(左から)兄のジョブソンさん、ジョビアナさん、妹のルシアナさん、叔母のソニアさん。ジョビアナさんの誕生日を友達と祝った

しかし、私が6歳になる頃、ジョブソンが事故に合い、下半身をギプスで覆われ、一生歩くことができないと診断されたのです。

そんなとき、母のテルマ(72歳)が、ブラジルで霊友会の教えを伝えていた、故・田端千佳子支部長に出会いました。母は、先祖供養と因縁解決の教えであると聞き、息子のためにできることがあるならば……と家族で入会し、お経をあげ、縁のある人に教えを伝え、必死に修行を始めたのです。ほどなくして兄の怪我が快方に向かい、とても驚き喜んだことを覚えています。

私も母に倣って、お経をあげて感じたことや、つどいの楽しさを友達に話していると、15歳の頃には何十人もの仲間ができていました。青年部として人の役に立てる活動に取り組む日々は、とても充実していました。

そんな私が、20歳になった頃のことです。当時、事務機器の販売の仕事をしていた私は、当時66歳の父・ジョブの代わりに家計を支えなくてはいけないことが何度もありました。その一方で、怪我も治りすっかり元気になった兄と妹は、働き場所を探してアメリカに移住していったのです。

「私だって、もっと自由に暮らしたい!」。もっと自分のことに自由にお金を使いたい欲求や、若さゆえの何かを変えたいという思い、新しい生活への憧れが募り、家を出たいと願う気持ちが日に日に強まりました。

ある日、私は家族に、当時交際していた彼氏と同棲して、家を出たいと相談しました。すると祖父は、「男女が一緒に暮らすならば、結婚しなさい」と言い、一方で母は「まだ若すぎる……」と結婚に反対したのです。

後から知ったのですが、まだ20歳の世間知らずの娘が、今の暮らしを変えたい思いだけで結婚を口実にして、幸せな家庭をつくる覚悟もないのでは……と心配しての発言でした。しかし当時の私は、新しい生活に挑戦してみたい思いが強く、結局、私は母の心配を知りながらも結婚、家を出てサンパウロ市に引っ越しました。ところが、住み慣れない大きな町での夫婦生活はうまくいかず、やがて夫と気持ちがすれ違うようになっていったのです。

|   人生を変える決断。母との修行が後押ししてくれた

結婚後も、母は私のことを心配して家によく足を運んでくれ、私は夫婦関係や生活の悩みを、いつでも何でも母に相談することができました。時には意見が食い違うことはあっても、母はいつも私の問題を自分のことのように考え、共に悩み、一緒に修行に取り組んでくれました。

サンパウロにあるブラジル支局のつどいに母と参加したり、家でお経をあげたり、教えを伝えたりと、母と一緒に懸命に修行に取り組んでも、夫の態度は変わらないまま。私のことはもう好きではないのではないか……。夫婦の気持ちのすれ違いがなかなか解消されず、日々積み重なっていく違和感がどうしても拭えないままでした。

結婚から2年が経ち、ちょうどご本尊をお納めすることになった日に、母と一緒にお経をあげることになりました。すると気持ちが落ち着き、悩んでいたいろいろな問題に対する気持ちの整理がついてきました。そして、「人生の大事な選択を間違ったかもしれない。でも、ご先祖さまはきっと、子孫の幸せを願ってくれているはず。ここから私も、変わらなきゃ!」と変化に飛び込んでいく勇気が湧いてきたのです。

同じころに、夫が浮気をしていたことが分かりました。私は母や家族とよく話し合って、人生をやり直すために、離婚という道を選びました。

一旦実家に戻った2カ月後、兄妹が暮らすボストンに移住。今の夫と出会い結婚しましたが、なかなか子宝に恵まれず、流産も経験し、思い描いていた幸せな家庭を築くまでには新たな苦労がありました。

言語の壁や、新しい仕事、異国の生活になかなか慣れない中でも、お経をあげたり、教えを伝えたりと修行に取り組みました。霊友会の教えを伝えても、相手も日々の生活に忙しく、話をしっかり聞いてもらえないこともたびたびありました。

ようやく子どもを授かったときに、あらためて、母や家族が自分を心配していた背景にあった思いを心から理解できました。どんなときでも私を気にかけてくれた母に、感謝の気持ちがあふれてきて……。また、周りの人の思いや厚意に支えられて今の自分があるのだと気づくことができたのです。


長女アマンダさん(中央)の15歳の誕生日を祝うジョビアナさん一家。いつも仲良しな家族は笑顔が絶えない

親を思い、自分を改め、人生を変えていける霊友会の教え。一人でも多くの人に伝え、共に幸せになっていくことが、私の恩返しです。