Global Voice

2025.7.1
子どもが幸せに生きてほしいから
親としての自分を見つめ直した
イヴァン・タケオ・サンチェス・チネンさん(48歳)ペルー共和国
首都リマにある、観光スポットとして有名なコスタ・ヴェルデにて。休日には、家族3人で海岸沿いを仲良く散歩する
ペルー出身のイヴァンさん(48歳)は、ブラジル出身のフェルナンダさん(43 歳)と国際結婚し、息子のアーサーさん(7歳)と3人で暮らしている。イヴァンさんは霊友会の教えを通じて、父へのわだかまり、夫婦の絆を取り戻していった。
| 自分を置いていった父。わだかまりが解けた瞬間
私は、日系人の母、ペルー人の父のもとに生まれました。両親は私が8歳のときに離婚。母に引き取られて育った私は、母のことを置いて家を出て行った父を恨み、会うことさえ拒(こば)んできました。
そんな私が、霊友会の教えと出合ったのは17歳のとき。同級生のグスタヴォ・キチスさんにつどいに誘われたことがきっかけです。つどいで初めてお経をあげたとき、心がスーッと軽くなるような感じがしたのです。この不思議な感覚に感動を覚えた私は父に対する複雑な思いを伝え、そして、「この教えを実践すれば、幸せになれるのかな?」と尋ねました。彼は、「なれるよ。だから一緒にやろう」と言ってくれ、私は入会を決めたのです。
私はお経をあげるようになり、各地のつどいにも積極的に参加しました。つどいでは、両親が離婚している人や、父親から捨てられた人。「父親がいてくれたら良かったのに」と思う人など、様々な人たちと出会いました。そんな彼らの体験談を聞くうちに、私も少しずつ、父のことを考えるようになっていきました。
つどいで支部の仲間たちと。みんな温かく、なんでも相談しやすい
父のことをもっと知りたいと思った私は、入会してから時間はかかりましたが、思い切って父に会いに行きました。父と久しぶりに会うと、父は私をぐっと抱きしめてくれて……。その温かさが今も忘れられません。父はずっと私のことを思ってくれていたんだ、私が勝手に壁をつくっていたんだと思いました。それからも連絡をとって近況を話したり、父が私の学校行事に来てくれるようになると、私も次第に父に対する憤(いきどお)りが和らいでいったのです。
私が20歳のときに、父は病気で亡くなりました。とてもつらかったですが、限られた短い時間でも、父と一緒に過ごせて良かった。その思い出は、私の心に深く刻まれています。
| 好きだから結婚したはずなのに、妻への不満をため込む日々
私は、38歳のときにブラジル人のフェルナンダと結婚。今は息子のアーサーと3人で生活しています。妻との出会いはブラジルで行われた霊友会のリーダー研修会で、そのときにビデオ通話を通じて知り合ったのです。
私が36歳のときに、彼女が観光でペルーを訪れ、彼女の観光ガイド役を買って出ました。私は彼女の明るさや親しみやすさに惹かれ、付き合うことになったのです。帰国した彼女と1年間の遠距離恋愛を経て、私はブラジルまで彼女を迎えに行き、翌年にペルーで結婚しました。
私たちは医者から、「子どもはできない」と言われていましたが、7年前に愛する息子を授かることができました。しかし妻と生活を共にしていく中で、お互いの異なる文化、習慣、性格の違いが目に付くようになりました。
遠距離恋愛の期間が長かったからか、お互いのことがあまりよく分かっていなかったのだと思います。会話も減り、私はだんだんと不満をため込み、妻へぶつけてしまうこともありました。夫婦関係は冷え込む一方で、「ブラジルに帰ってくれ!」と思ってしまうことも…。そんな日々を変えたのは、妻と一緒に、会員の家に訪れるようになってからでした。
会員とお経をあげてから、彼らの気持ちを聞いていくと、家族や夫婦関係で似た問題を抱えている会員が多いのです。お互いに素直になれなくてすれ違う、私たち夫婦の姿と重なりました。
会員たち、そして私たちの息子には、必ず幸せになってもらいたい。そのために自分ができることは何だろうか。私は、妻に話しました。「お互い、もっと素直になろう。自分の感じていることや嫌なことをため込まずに、まずは話し合おうよ」と。芯が強い妻も思うところがあったのか、私に共感してくれて、互いに積極的に歩み寄っていくようになったのです。
私は小さい頃の経験から、夫婦がいがみ合う中で一番傷ついているのは、子どもなのだと実感しています。ですが私も、妻と些細なことからぶつかり合い、息子を悲しませていました。この教えを実践していたおかげで、親と同じことをしている自分の姿に気づきました。今は3人で幸せに暮らせています。私はこれからもこの教えを人に伝え、幸せな家庭を一軒でも多く増やしていきます。
天気がいい日には3人でサイクリングすることも