12.高齢者養護施設の入所者一人ひとりに声をかけ、手を握って慰問される

高齢者養護施設の入所者一人ひとりに声をかけ、手を握って慰問される

大勢の会員に見送られて羽田国際空港を出発(昭和28年7月24日)。小谷恩師の右隣は随行の濱口八重支部長

昭和28年(1953)7月、日本赤十字社の親善大使として、欧米各国の福祉施設と社会事業の視察に旅立たれた霊友会初代会長・小谷喜美恩師。最初の訪問地・ハワイでの視察を終えた後、ロサンゼルスに向かわれました。そこでは、米国赤十字社の血液事業を見学の後、現地にある高齢者養護施設を視察。今回の欧米各国を巡る視察の旅の中で、初めての本格的な福祉施設を目のあたりにされたのでした。小谷恩師は後年、次のように回想されています。

米国赤十字社ロサンゼルス支社のブラッド(血液)センターで献血の様子を見学した翌日、どうしても当地の養老院(高齢者養護施設)を視察したい、その敷地内にあるいろいろな学校も視察したいという思いがありましたので、ランチョ・ロス・アメゴス養老院という、何万坪もあるような広い敷地内に建てられた立派な福祉施設に案内していただきました。

そこには(明治・大正時代にアメリカへ移民してきた)日本人も70数人が入所しておられ、病室を訪ねて一人ひとりに会わせていただくことにしました。ちょうどロサンゼルスに日本人の経営する餅菓子屋があったので、お見舞いの品として500個ほどの餅菓子を買って、慰問させていただきました。

各病室には10床から20床ほどのベッドが並んでおりましたけれど、いずれも掃除が行き届き、とても清潔でございます。看護婦さんや寮母さんなど、お世話をされる方々もきちんとした服装をしておられ、応対もよく、何もかも行き届いて整っております。敷地内には、身体の不自由な子ども、また視覚、聴覚などさまざまな障がいのある人たちのための施設もあり、そのような人たちが学ぶ学校等もございました。

「もっといっぱい話を聞かせてください」と懇願され、快く応じられた小谷恩師

ある病室に、一人の目の不自由なご夫人がおられました。私が声をかけると、「日本人の声が聞けて、本当に懐かしい。どうか手を握らせてください」と言われ、手を握らせていただきました。すると、日本の戦後の様子をあれこれ尋ねられ、生まれた故郷のことを懐かしそうに話してくださいました。そして、いつか日本に帰りたいと言われ、同じような思いの人が他にもおられましたので、濱口さん(随行の濱口八重国友婦人会理事長、後に第二十二支部長、第3代会長)に、その方々の故郷の住所を書きとめてもらい、帰国したら連絡を取って、お知らせすることを約束しました。

みなさん涙を流して喜んで、「日本人に会えて大変うれしい」と言って喜ばれました。そして「なるべく長くいて、お話を聞かせてください」と懇願されました。それで、その方々と記念写真を撮った後、日が暮れるまで滞在して、慰問させていただいたのでございます。

 日本人がこんなにも多く入所しておられるということで、一人ひとりとお話しして非常に喜ばれました。いろいろな病気や障がいのある人たちが十分な治療を受けておられることも確認できました。  そういうわけで、非常に設備の良かったこと、入所者が行き届いた手当を受けているということで、私はロサンゼルスの福祉施設は大変立派であると思わせていただきました。