11.日本赤十字社の親善大使として、欧米各国の福祉施設視察を要請された霊友会初代会長・小谷喜美恩師

日本赤十字社の親善大使として、欧米各国の福祉施設視察を要請された霊友会初代会長・小谷喜美恩師

視察旅行出発の日、国友婦人会講堂で行われた壮行会の後、大勢の会員に見送られて羽田に向かわれる小谷恩師一行(恩師の後ろは濱口国友婦人会理事長)

昭和26年(1951)から28年(1953)にかけて、国友(くにとも)婦人会は日本赤十字社の募金活動に取り組み、多大な成果を残しました。

昭和28年3月28日、日本赤十字社の島津忠承社長(当時)から霊友会初代会長・小谷喜美恩師に1通の書簡が届きました。戦後日本の福祉事業増進と、それを担うボランティア精神を社会に広げていくため、小谷恩師に日本赤十字社の親善大使として、欧米各国の福祉施設および社会事業の視察を要請されたのです。小谷恩師は後年、次のように回想されています。

日本赤十字社から、欧米各国の福祉施設と社会事業の視察など、親善大使としての要請を受けましたのは、昭和28年3月のことでございます。同時に、アメリカをはじめ、ドイツやスイスなどヨーロッパ諸国の赤十字社からも、「ぜひ来ていただきたい」という招請状をいただきました。私は久保恩師の教えに従って、社会のために何かお役に立てることをやらせていただこうと思い、国友婦人会のみなさんと一緒に働かせていただいただけのことでしたのに、本当にありがたいことでした。 

当時、小谷恩師は52歳。その2年前に大病をされ、まだ体調も万全ではありませんでしたが、これからの日本にとって重要な使命だと考えられ、渡航を決断されたのです。

同年7月24日午後4時頃。小谷恩師は随行の濱口八重国友婦人会理事(後に第二十二支部長、第3代会長)らと、羽田国際空港発のパンアメリカン機で、最初の訪問地ハワイに向けて飛び立たれました。

最初の訪問地ハワイで日系人の〝国を思う心〞に接し感銘を受けられた小谷恩師

最初の訪問地となったハワイのオアフ島に到着されたときのことを、小谷恩師は後年、次のように回想されています。

ホノルル空港では、霊友会の会員の方々が30~40人ほど、おたすきをかけて待っておられ、手を振って迎えてくださいました。首にレイをかけていただいて、みんなで記念撮影をし、渡米の挨拶をさせていただいてから宿舎に向かいました。  

土曜日の午後でしたので、赤十字社との連絡は取れませんでしたけれど、会員の方々、また赤十字の活動をしている方々など、さまざまな人たちが交代で歓迎をしてくださいました。その中の一人は次のように言われました。

「ハワイにいる日本人・日系人は、日本から遠く離れていても、どうかしてお国のために尽くしたいという強い信念でおりますが、日本の戦後復興のために義援金や援助物資を送ろうと思っても、いろんな難点があるのです。

終戦直後、日本の難民救済のために食糧や医薬品・日用品を送ったときのように、日本側でいろんな便宜を図ってもらえると助かります。私たちが十分お国のために尽くせるように、日本赤十字社の担当者にお話ししていただきたい」。

 日本から遠く離れた人たちのこのような心に応えるには、日本赤十字社をはじめ国内にいる国民もその心になってやらなければならない。外国にいる日本人・日系人の国を思う心というものに接して、日本にいる日本人もしっかりお国のことを考えなくてはいけないと感じました。