10.皇居内の清掃奉仕から街頭募金へと広がる国友婦人会の活動

皇居内の清掃奉仕から街頭募金へと広がる国友婦人会の活動

連合国軍総司令部(GHQ)による占領が続いていた昭和26年5月、日本赤十字社の「白い羽根募金運動」に協力し、東京・銀座の街頭で募金を呼びかける国友婦人会の会員たち

戦災孤児や生活困窮者への支援寄付を積極的に行っていた国友婦人会は、社会的な評価も高く、昭和25年(1950)4月に吉田茂内閣総理大臣から感謝状を受けました。

同年5月15日〜17日には、皇居内の清掃奉仕活動に取り組みました。最終日の17日、恩師小谷喜美先生はじめ国友婦人会会員は、皇居内吹上御苑(ふきあげぎょえん)で昭和天皇・ 香淳皇后両陛下に拝謁(はいえつ)し、お言葉を賜ってい ます。

昭和25年5月には、宮城(きゅうじょう)(皇居)内の清掃ご奉仕にあがることをお許しいただきました。

この宮城でのご奉仕は、春と秋の年2回、何年か続けさせていただき、その都度、私も参加いたしました。皇霊殿(こうれいでん)のまわりもお掃除させていただき、宮中のお膳やお椀(わん)、その他、儀式にお使いになられるところの、いろいろなお道具のお手入れもさせていただいたのでございます。

そうして3日間ご奉仕させていただきますと、その都度、最後の日には必ず両陛下より、お言葉をいただくことができたのでございます。

 

目に見えない教えをもって、 目に見えるところの人に喜んでいただく

昭和24年(1949)の国友婦人会発足直後から行われた多岐に渡る活動の中で、最も大がかりに行われたのが、昭和26年(1951)から28年(1953)にかけて、東京・大阪・神戸・京都などで行われた街頭募金の奉仕活動でした。

戦災孤児や生活困窮者への支援を目的に昭和22年(1947)に始まった「赤い羽根共同募金」、日本赤十字社の「白い羽根募金運動」に、国友婦人会として全面的に協力することになり、多くの会員が毎日街頭に立って募金を呼びかけたのです。

遠い地域からも会員が駆け付け、奉仕活動をする中で、恩師小谷喜美先生は新しい会員から、「自分も生活は苦しいのに、なぜ奉仕をするのですか」と質問を受けられたそうです。

小谷恩師は、次のように答えられました。

宗教は社会事業であり、目に見えない教えをもって、目に見えるところの人に喜んでいただくということで、社会に尽くすのです。  

いかに自分たちが安穏でも、次の時代、子や孫の時代ということを考えて、目に見えないところに功徳を積み、目に見える社会事業の仕事をしていくということが、本当の菩提心(ぼだいしん)なのです。  

とは言え、みなさんに納得してもらわなければなりません。私は霊界に念願し、何度も相談して、幹部や先輩のみなさんに範を示してもらうように話しました。  

朝早く起きてお経をあげ、お弁当をつくり、留守にしても家族が困らないようにする。そういう努力を一人一人がして、心を尽くして、募金に立たせていただくようにしたのです。

 数多くの団体が募金活動に参加する中で、国友婦人会は、昭和26年から3年間、東京都で募金総額第1位という成果を残したのです。