17.社会復帰を目指す施設入所者のために献身的な奉仕を行う

社会復帰を目指す施設入所者のために献身的な奉仕を行う

昭和30年(1955)1月、大分県の国立別府保養所を慰問し、社会復帰を目指す戦傷病者や身体障がい者の人たちを励まされる小谷恩師(手前の和服姿)。九州にも度々足を運ばれた

 両恩師が先頭に立たれた社会貢献

昭和28年(1953)の秋から、さらに活発に行われるようになった霊友会の社会貢献活動。その一つが、国友(くにとも)婦人会を中心に会員たちが各地の福祉施設を定期的に訪問して、掃除・洗濯・裁縫・草取り・慰問などを行う活動でした。それは関東、関西にとどまらず、全国に広がっていきました。

そのような訪問先の一つに、当時の厚生省を通じて紹介された大分県の国立別府保養所があります。戦後、重度の戦傷病者や身体障がい者を対象に、社会復帰のための自立支援を行う施設として開所され、現在も「国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局・別府重度障害者センター」として活動を続けています。

恩師小谷喜美先生は遠く九州の地にある同施設にも度々足を運ばれ、会員とともに入所者を慰問されました。恩師は後年、次のように回想されています。

九州の別府に身体障がい者の保養所がございます。そこにも慰問にまいりました。大分県の日田(ひた)という所に霊友会の会員がおりまして、日田から別府まで3~4時間汽車に乗り、4日なり5日なりその施設に泊まり込んで、奉仕をしてくださるのでございます。

入所者のみなさんは身体の不自由な方ばかりでして、身体の丈夫な人には想像もできないような苦労をなさっています。所長さんをはじめ事務の人たちも、そういう方々をどうやって慰安するかという心配をしておられます。

テレビを備え付けるくらいのことなら厚生省の予算でできますが、入所者のみなさんの娯楽のために鳥小屋をつくるとか、あるいは理容室をつくってあげたいと思っても、厚生省から予算はいただけないとのことです。そういうわけで、私のところでぜひ庭をつくっていただきたいというお話を所長さんから伺いました。

身体の不自由な人であろうと、丈夫な人であろうと、人間は生きている間は誰でも心の有りようは一緒でございます。手の不自由な方、足の不自由な方々に、ぜひ屋外の空気を吸わせてあげたい、お花や人の姿も見せてあげたいという所長さんのお話を伺いまして、会員のみなさんの奉仕で庭を整備し、そこに舗装した歩道をつくらせていただきました。

その歩道を利用して、入所者のみなさんが車椅子に乗り、自分で動かせる方は動かして、あるいは車椅子を後ろから押していただいて、散歩に出て来られます。ウグイスなど野鳥が鳴く姿を見たり、カーネーションなどいろんな季節の草花が咲いている花壇をご覧になって、みなさん非常に喜んでおられます。歩道からは海が見えますし、人の通る姿を見ることもできます。その庭に小谷公園という名前を所長さんがつけてくださいました。

今年は天皇・皇后両陛下がおいでになられるので、公園の中に池をつくって、そこに金魚や鯉(こい)を入れ、その姿をぜひご覧になっていただきたい。入所者も池の周囲を散歩できるようにして、みなさんにも喜んでいただきたいと言われました。それで国友婦人会から寄付をさせていただいて、九州の会員のみなさんの奉仕によって池をつくらせていただいたのです。

また、書物を寄贈してほしいという依頼もありましたので、一昨年は国友婦人会の幹部の人たちが動いてくださり、会員のみなさんに協力を呼びかけました。会員宅や知人宅にある本を集め、足りないところは買い求めまして、まとまった数の書物を保養所に寄付させていただき、国友文庫ができたのでございます。

 このようにして、大分県の保養所にもお尽くしさせていただいております。