18.親に代わって乳幼児を養育する「乳児院」を
慰問し、そこで働く人たちを支援

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昭和31年(1956)2月、国友婦人会が神奈川県川崎市にある児童養護施設に鼓笛隊の楽器一式を寄贈。楽器を手にして喜びいっぱいの子どもたち

 両恩師が先頭に立たれた社会貢献

恩師小谷喜美先生が先頭に立たれ、各地の社会福祉施設を慰問された国友(くにとも)婦人会の社会奉仕活動。昭和28年(1953)秋から本格的に始まって以降、年を追うごとに拡大していきました。慰問先の施設は、高齢者や障がい者のための施設にとどまらず、様々な事情で乳幼児が預けられている福祉施設等にも及びました。

そのような慰問先の一つが、「社会福祉法人恩賜財団慶福育児会 麻布乳児院(以下、麻布乳児院)」(東京都港区)でした。麻布乳児院は霊友会本部から比較的近いということもあり、昭和29年(1954)から国友婦人会として定期的に慰問してきました。

小谷恩師は後年、次のように回想されています。

子どもの日になりますと、キャラメルやお菓子を用意いたしまして、東京・南麻布にある慶福育児会麻布乳児院を慰問させていただいております。今年も5月5日に、おむつを持参して行ってまいりました。院長先生はじめそこにお勤めのみなさんが、「毎年、入梅の頃になりますと、おむつで一番困るんですよ。いくら洗濯して乾かそうとしても、雨で乾きにくくて、数が足りなくなるんです。この時期は、おむつがいくつあってもいい。ですから、国友婦人会のみなさんがおむつをたくさん寄贈してくださることは、とても助かります」と言われます。

そういうわけで、麻布乳児院にはここ2~3年、毎年おむつを持参して慰問させていただいておるのでございます。

|   必要とされるものを必要としている人たちへ

令和元年(2019)、霊友会福祉センターの理事が麻布乳児院を訪れた際、職員の方からこんなお話を伺ったそうです。

「霊友会第四支部のみなさんには、毎年定期的にボランティアにお越しいただき助かっています。私がここに勤めて30年余りになりますが、昭和の終わり(1988年頃)までは、まだ院内に子ども用のコンクリート造りのプールがあったんです。壁には象の絵が描かれていて、子どもたちに大変喜ばれていました。老朽化のため、残念ながら現在は残っておりませんが、当時を知る職員から『プールは霊友会会員のみなさんが何日もかけ、汗水を流して作ってくれたんですよ』と幾度も聞いたことがありました」

※福祉通信『はるかぜ』(霊友会福祉センター、令和2年3月1日発行)から引用

必要とされるものを、必要としている人たちへ。世のため、人のために役立つ行いを実践された恩師のご遺志は、現在まで脈々と受け継がれてきているのです。