16.社会事業は、目に見えないところを信じ、菩提心(ぼだいしん)を持って行わせていただくもの

社会事業は、目に見えないところを信じ、菩提心(ぼだいしん)を持って行わせていただくもの

昭和28年(1953)5月、国友婦人会講堂にて、会員と一緒に日本赤十字社の奉仕作業をされる小谷恩師(中央)。右は濱口八重支部長(後に第二十二支部長、第3代会長)。左は草田綾支部長(後に第二支部長夫人)

両恩師が先頭に立たれた社会貢献

昭和28年(1953)、欧米各国の福祉施設と社会事業の視察から帰国された恩師小谷喜美先生。「あらゆる方面で社会奉仕を行い、目に見えない力をもってお国のために尽くしたい」と、よりいっそう社会事業と社会奉仕活動に取り組んでいく決意を表明されました。
 翌年から国友(くにとも)婦人会を中心に、会員たちが各地の福祉施設を定期的に訪問し、掃除・洗濯・裁縫・草取り・慰問などを行う活動が始まりました。

小谷恩師は後年、次のようなお話をされています。

国友婦人会では、ミシンの講習会を行うために、ミシンを何台か購入いたしました。しかし、講習会もいいけれども、福祉施設等で活用していただいたほうが、もっと社会のためになるのではないかと思い、それらのミシンを大阪の弘済(こうさい)院に寄付させていただきました。そこには子どもからお年寄りまでが入所し、学校から病院まで一切の設備が整っているのです。

弘済院には週に一度、受け持ちの会員のみなさんが奉仕に通っておりまして、一回の奉仕の中で、例えば枕を作るとなると一度に300個ほども作ります。それほどの大所帯であり、また布団を作ったり着物を縫ったりもしますので、ミシンがあったらどんなにか助かるだろうと考えたからでございます。

そのようにして奉仕活動を続けて3年近くたった頃、奉仕に通っている会員のみなさんが弘済院の人に言われたそうでございます。「もうすぐ、お約束の3年になりますが、どうかこれからも奉仕を続けていただけませんでしょうか」と。会員のみなさんは、当然のように快諾いたしました。私は、社会事業というものは、目に見えないところを信じ、菩提心をもって行わせていただくものだと、常々お話ししておりますけれども、会員のみなさんも、そうした私の考えをよく理解してくださっているのだと、心から感謝させていただきました。

また大阪のある養老院では、そこの寮長さんが厳格な昔気質(かたぎ)の方で、奉仕を申し出たときはあまり関心がないようなご様子だったのですが、今ではすごく前向きに受けとめていただいて、「このようなお年寄りの綿入れを作ってきてください」などと、いろんな希望や注文を言われるようになりました。施設へ行って作るだけではとても間に合わないので、会員のみなさんは道具や材料を自宅に持ち帰って、綿を買い、糸を買い、そうして布切れを足して、綿入れなり座布団なり、あるいは着物や布団を作って、今では毎週訪問して奉仕させていただいております。

先日、大阪へまいりましたとき、寮長さんにお目にかかり親しくお話しさせていただきました。そのとき寮長さんから「本当にあのときは無愛想で申し訳ありませんでした。今日まで長い間奉仕していただいて大いに助かっております。入所しているお年寄りも心から喜んでいます。どうかおやめにならないで、続けて奉仕をしていただきたい」と懇願されたのでございます。

奉仕をするために、会員のみなさんが自宅で裁縫や洗濯を熱心にするようになりましたので、家庭のお年寄りやご主人に喜ばれています。このように社会奉仕をしながら、家庭のいろんな物がきれいになり、家族にも喜ばれ、奉仕先の施設にも喜ばれるというわけで、だんだんと国友婦人会の社会事業は広がっております。

全国の他の施設でも、大阪の施設と同様に、3年を過ぎても奉仕活動は続けられ、本年(1958年)5月で丸4年になったのでございますが、まだ一度も休むことなく奉仕を続けさせていただき、今では、お互いに家族のような気持ちで、掃除や洗濯をさせてもらったり、衣類の繕いなどをさせてもらったりしています。各施設とも、私どもとの信頼関係がいっそう深まり、真心からの奉仕活動をさせてもらえるようになったのでございます。