15.「社会に貢献したい」。青年部の機運から生まれた点訳奉仕、朗読奉仕

「社会に貢献したい」。青年部の機運から生まれた点訳奉仕、朗読奉仕

青年部員を対象にした点字講習会(昭和30年9月、国友婦人会和室)

昭和28年(1953)、日本赤十字社の親善大使として福祉施設と社会事業の視察のため欧米各国を歴訪された恩師小谷喜美先生。帰国後、奉仕活動と社会事業により一層取り組まれるとともに、「次代を担う青少年の育成こそ、霊友会が国家・社会に果たすべき大きな役割である」と明言され、昭和29年(1954)に青年部を発足されました。

発足後、全国に仲間の輪を広げていった青年部の中で、「社会に貢献したい」という機運が生まれました。そして、小谷恩師も後押しをされ、最初に取り組んだ社会奉仕活動が、視覚障がい者のための点訳奉仕や朗読奉仕でした。

点字指導者講習会に参加した青年部の有志5人が講師となり、東京・大阪などで青年部を対象に点字講習会を開催。多くの点訳奉仕者を生み出していきました。朗読奉仕は昭和32年(1957)1月から、視覚障がい者の施設である国立東京光明寮で行われ、その後、毎月行われるようになりました。

小谷恩師は、青年部の社会奉仕活動について、次のように回想されています。

単に寄付のお金を差しあげるとか、形だけの言葉をかけるとか、そういうことは社会奉仕とは言えない。各自がしっかりと念願と修行をし、身をもって行うのでなければ社会奉仕ではない、法華経の修行ではないと、亡くなられた恩師久保角太郎先生から教えられております。   

青年部は、点字の講習を受けて点訳本をつくり、福祉施設に寄贈したり、視覚障がいのある人たちの施設等へ出向いて朗読奉仕をさせていただく活動を続けております。こうした社会奉仕は、やはり若い人たちの仕事だと思いまして、私も喜んで奨励しているのでございます。

本当に仏の慈悲、仏の心がなければできないこと

そして小谷恩師の後押しもあり、長年の念願であった『青経巻』の点訳が青年部有志の手によって4カ月をかけて行われ、昭和34年(1959)に点訳青経巻 12冊が完成。同年5月、第3回青年部全国大会において、小谷恩師から7人の視覚障がい者に点訳青経巻が手渡されました。

そして、点訳奉仕をした7人の青年部員に表彰状を授与された小谷恩師は、次のように述べられました。

このたび点字の青経巻が完成しましたことは、一言一句を点字にするという、本当に仏の慈悲、仏の心がなければできないことです。努力して点字にしてくださる方があって、それをお受けになる方がある。このような両方の立派な姿を、私も肝に銘じた次第でございます。

点字の青経巻をお贈りくださいました方々に対し、心から深い感謝の意を表すとともに、今後ますますこのような本当の社会奉仕活動を続けていただくことを望みます。

青年部がこのように立派になっていきましたなら、霊友会はますます発展していく。日本国の立派な礎となって世界の平和を建設することができるという確信を得て、私は安心をいたしました。

朗読奉仕(昭和32年1月~)は、会員有志による霊友会の定期刊行物等の音訳奉仕という形で今に受け継がれている