06.「ニッポン号世界一周親善大飛行」(後編)

「ニッポン号世界一周親善大飛行」(後編)

久保・小谷両恩師に飛行達成のお礼と挨拶のため、ニッポン号乗組員の1人・大原武夫親善使節(中央)が本部に来訪(昭和14年12月13日)

ニッポン号が2カ月間におよぶ「5大陸、2大洋制覇の世界一周親善大飛行」達成に向けて東京・羽田飛行場を飛び立ったのは、昭和14年(1939)8月26日のことでした。羽田から北海道、アラスカ、北米、南米、アフリカ、ヨーロッパ、中東、インド、東南アジアを経て日本に。その飛行距離は5万2千860キロ、飛行時間は194時間でした。難関コース、荒天や視界不良による危機を操縦と機体の優秀さで乗り切り、日本製航空機の高い実用性と信頼性を世界に示したのです。

霊友会では、久保角太郎恩師の指導のもと、この事業の成功を願い全国の会員が安全祈願。本部講堂でも、ニッポン号が出発した8月26日から交代で毎日50人の会員が安全祈願を続けました。特に最初の難関である北太平洋横断飛行を決行した27日の夜には、久保角太郎恩師、小谷喜美恩師をはじめ、幹部会員や会員の有志700人が本部講堂に参集。徹夜の念願を行いました。

彼岸の中日(ちゅうにち)9月24日にご来光を拝する身延七面山登山参拝(各支部合同)には、全国から約500人が参加し、世界一周達成を祈願。これらの安全祈願は、ニッポン号が無事に帰国するまで続けられたのです。

久保恩師が自ら祈願を込められたお題目と青経巻を身に着け、快挙を成し遂げた操縦士の吉田重雄氏は、帰着後の同年12月12日、本部講堂を訪れ、世界一周飛行の体験を講演。講堂内を埋めた会員に向けて、「みなさまから熱誠(ねっせい)なる祈願を込めてくださったおかげで、無事に帰って来られました。我々の力だけでは決してできなかったのだということを感じるのであります」と謝辞を述べられました。

世界の平和に貢献する修行をせよ

小谷恩師は後年、次のように回想されています。

ニッポン号が出発する前、久保恩師は、「今に科学万能の時代がくる。世の中が進歩して飛行機に乗る人が多くなってくる。そのとき、不時の災難に遭わないように、この青経巻をお守りにしてほしい」と言われ、お題目と青経巻をニッポン号乗組員に贈られました。

ニッポン号は、出発して2カ月後の10月20日、使命を果たして無事帰国いたしました。飛行機が羽田に着きましたときは、全会員が霊界のご守護のあることを知らされ、深く喜ばせていただきました。

久保恩師は、「この青経巻が悪魔を払って世界平和のお使いをしてきたのだから、幾年か後に霊友会から、社会事業の視察と国際親善のために世界各国を回るときがくる。霊友会は、世界の人類を救う約束がある。世界の平和に貢献する修行をせよ」と説かれたのでございます。

この久保恩師のお言葉を小谷恩師が聞かれてから14年後の昭和28年(1953)、日本赤十字社の要請を受けて、小谷恩師が親善大使として欧米11カ国を訪問。各国の赤十字事業や福祉施設を視察されることになるのです。

※吉田操縦士が帰着後に本部講堂を訪れ講演をした際、小谷恩師へ手渡された感謝状(昭和14年12月12日)