19.青年を蝕(むしば)むヒロポン(覚醒剤)撲滅キャンペーンに取り組み、多くの人たちを救う

青年を蝕(むしば)むヒロポン(覚醒剤)撲滅キャンペーンに取り組み、多くの人たちを救う

昭和30年(1955)9月18日、新潟県刈羽郡で行われたヒロポン(覚醒剤)撲滅キャンペーン映画『悪魔の罠』上映会

 両恩師が先頭に立たれた社会貢献

恩師久保角太郎先生のご遺志を受け継ぎ、恩師小谷喜美先生が先頭に立たれた霊友会の様々な社会事業や奉仕活動。その一つで、昭和29年(1954)4月に霊友会青年部を発足された後、小谷恩師がすぐに取り組まれたのが、当時、多くの青年の心身を蝕んで社会問題となっていたヒロポン(覚醒剤)撲滅キャンペーンへの協力でした。

ヒロポンは、戦前・戦中までは市販もされ、各国においても、軍需工場作業員の眠気防止や兵士の戦意高揚のために使われた覚醒剤の一種。しかし覚醒剤は、一時的に倦怠感を除き活力が増大したように脳に錯覚させるだけで、薬が切れると何倍もの疲労感と幻覚作用に襲われ、人格の崩壊につながる極めて危険な薬であることは言うまでもありません。

日本では戦争中、陸海軍が大量に備蓄していたと言われています。それが敗戦後に大量に流出してしまったのです。昭和26年(1951)に覚醒剤取締法が制定されましたが勢いは止まらず、ピークの昭和29年(1954)の検挙者は5万5千人を超え、使用経験者は200万人と推定されました。

霊友会は昭和29年(1954) 12月、厚生省、警察庁、警視庁、東京都からヒロポン禍防止対策への協力を要請され、受諾。対策費・賛助金として750万円を寄付するとともに、ヒロポン撲滅運動に本格的に乗り出しました。

  世の中の人々が真剣に考えるきっかけに

その具体策として、ヒロポン撲滅キャンペーン映画『悪魔の罠(わな)』を製作し、昭和30年(1955)から、青年部が中心となって全国各地で無料上映会を開催。小谷恩師は後年、次のように回想されています。

終戦後の混乱の中、青年諸君のヒロポン中毒という嘆(なげ)かわしい事態が、しきりに報道されておりました。清らかな心をもっておるはずの青年諸君が、ヒロポン中毒によって一生を暗黒にする。大きな徳をもってこの世の中に生まれ出ておるにもかかわらず、娑婆(しゃば)の悪友に誘われてヒロポン中毒に悩まされる。その心配ならびに社会の損失は計り知れません。

会員同士で話し合い、互いに法華経の実践をもって身の周りの人たちから少しずつ救っていくという良い結果を見ることができました。しかし信仰をもたないまま、若い力を発揮することもできずに迷っている人も大勢おられます。そのような人たちをいかにして救うかということを考えて、ヒロポンの恐ろしさを訴える映画をつくることにしました。

こうして映画『悪魔の罠』が完成し、各地の青年部員が中心となって無料で上映会をさせていただきました。若い人はもちろん親世代にも喜ばれ、またヒロポン中毒患者の方々も「なるほどそういうものであるか」と、映画を観て非常に悟られたということで感謝され、救わせていただきました。

その後、この映画は文部省の選定映画になり、各自治体や会社・団体から、映画を貸していただきたい、観せていただきたいという申し込みを受けまして、各地の市町村長から多くの感謝状をいただいております。

日本では近年、覚醒剤使用の検挙者数は減少傾向にありますが、覚醒剤と同様に高い依存性のある薬物・大麻使用による若者の検挙者が急増するなど、薬物の乱用は大きな社会問題です。きっかけは「好奇心や興味本位」「その場の雰囲気」が多いとのデータが出ており、薬物を入手しやすい環境や断りにくい人間関係が背景にあると言われています。誘われてもきっぱり断ること、信頼できる大人に相談することも大切です。

 薬物の乱用に限らず、私たちの身の周りには、様々な問題があふれています。社会の問題を他人事(ひとごと)にせず、自分にできることからはじめる。声をかけ合い、助け合う。そんな仲間の輪を広げていきましょう。