20.(最終回)世の中から必要とされる様々な社会事業に取り組み、世界の平和に貢献する青年の育成を願って―

(最終回)世の中から必要とされる様々な社会事業に取り組み、世界の平和に貢献する青年の育成を願って―

常に社会のために行動し続けた久保恩師(写真左で帽子を手に持つ男性)と小谷恩師(写真右端)
*写真は昭和12年(1937)8月、戦地の兵士に役立ててもらうための街頭募金活動

|   久保角太郎先生記念講堂は社会福祉と文化の拠点に

昭和31年(1956)、日本は国際連合に加盟し、国際社会へ復帰。しかし、国の財政は厳しく、昭和33年(1958)に東京で第9回「国際社会事業会議」の開催が決まりましたが、日本における社会福祉と文化の拠点となる建物や、国際規模の会議を開催できるような会場が戦後間もない当時はありませんでした。

そこで、同会議を主管する厚生省(現・厚生労働省)は、戦後いち早く社会奉仕活動に取り組んでいた霊友会に協力を要請。これを快諾された恩師小谷喜美先生は、恩師久保角太郎先生十三回忌記念事業として、「久保角太郎先生記念講堂」(以下、久保講堂)を建設され、社会福祉法人・社会事業会館(現・全国社会福祉協議会)に寄贈されたのです。小谷恩師は後年、次のように回想されています。

霊友会の創立者である恩師久保角太郎先生は、「この世に命のある限り、社会のためになる仕事をしたい」という念願のもとに先祖供養の教えを遺され、昭和19年(1944)11月18日に霊界へ帰られました。

十三回忌を迎えるにあたり、久保恩師の志と願いを世の中の人に知っていただくためには、大きな社会事業にも取り組んで、多くの人々に見ていただかなければならない。霊友会の会員といたしましても報恩の誠(まこと)を結集して、長く世のため人のため、信仰の真意を形にしたいと思い、記念講堂を建設することを決めました。久保恩師の魂を、この講堂の心(しん)に入れさせていただき、今後、世の中の様々な催しで利用していただこうと思ったのでございます。

昭和33年(1958)1015日、東京・千代田区霞が関3丁目に、1500人収容の多目的ホール、久保講堂が竣(しゅん)成。ホール支柱の下には久保恩師の数珠・たすき・青経巻などが奉安されました。そして1130日から7日間、世界42カ国と国際団体から約1500人が参加した「国際社会事業会議」が開催され、日本は名実ともに国際社会に復帰を果たしたのです。

その後、久保講堂は、霊友会や社会福祉関係の行事、会議だけでなく、音楽や映画、演劇など様々な文化的な催しにも幅広く利用されました。地域の再開発事業の一環で昭和59年(1984)に取り壊されましたが、その跡地に建てられたビルのロビーには、久保講堂について書かれた銘板が今も掲げられています。

社会事業会館(左奥の7階建てのビル)に併設される形で完成した久保講堂の全景。写真は竣成して間もない頃に撮影されたもので、遠方には国会議事堂も見える

久保講堂の跡地には、全国社会福祉協議会が管理・運営する新霞が関ビル(地下3階、地上20階)が建てられた。同ビルのロビーに、久保講堂について書かれた銘板が掲げられている

|   明法中学校・高等学校の学び舎に宿る小谷恩師の願い

次代を担う青少年の育成こそ、霊友会が国家・社会に果たすべき使命である―。

この信念のもと、昭和29年(1954)に霊友会青年部を発足された小谷恩師は、昭和39年(1964)に青年の修練道場「弥勒山」を建立されました。時を同じくして取り組まれたのが、理想の学校教育の場を実現して社会に奉仕すること。同年4月、霊友会の社会事業の一環として、「明法中学校・高等学校」(東京都東村山市)を開校されました。

その前年、同校の運営母体となる「学校法人明法学院」の設立時に、小谷恩師は次のように話されています。

数々の好条件を具備した学舎に、広く全国各地より水を得た魚のように湧出有縁(ゆじゅつうえん)の青少年を集めて、人格識見を培う。そうして将来、社会の福祉・国家の繁栄に貢献し、やがて人類の幸福・世界永遠の平和に寄与する名実ともに有為な人材を輩出し、もって本学院の創立の使命である社会への奉仕を全うする。これを私の終生の所業の一つとしたい。

現在、同校のホームページには建学の精神がこう記されています。「この世に生を受けたことに感謝し、知性を磨き、よい習慣を身につけ、社会のため、国家のため、人類のために役立ち、世界平和に貢献できる人間を育成する」。

平成26 年(2014)には、科学的な思考と実践力で新時代を開拓していく人材の育成を目指す「明法グローバルエンデバーズ」(現サイエンスGE)という教育講座を設立するなど、同校ではその時代その時代に合わせた様々な取り組みを続けています。小谷恩師の思いは今もしっかりと受け継がれているのです。

同校のOBである霊友会青年部の1人(20代・男性)に話を聞きました。

「ぼくは何事にも主体的に取り組む姿勢を学びました。校則や部活動の予算まで、全校生徒で集まり、自分たちで考え、自分たちで決めた経験は、仕事にも生かされています。同級生は警察官や消防士、俳優の卵など、誰かの役に立ちたい、人を笑顔にしたいという熱い人ばかり。そんな仲間ができたのも大きな財産です。今、支部で中高生と関わる機会があり、一人ひとりの個性を尊重し、彼らの思いに耳を傾け、一緒に成長したいと頑張っています」。

平成31年(2019)からは男女共学となった同校。卒業生は7千人を超え、国内外の各分野で活躍しています。

昭和44年(1969)5月18日、明法中学校・高等学校の体育祭で、綱引きをする中学生と、応援する高校生

 どんなときも会員の先頭に立たれ、様々な社会事業に取り組まれ、世界の平和に貢献する青年の育成に尽くされた両恩師。その志を受け継いで、私たち青年部も、世のため、人のために尽くす仲間の輪を広げていきましょう。