03.見返りを求めない心 戦地の兵士へ慰問袋を送る
霊友会の社会奉仕活動の中心になったのは婦人修養会だった。
写真は、昭和10年12月、東京・時事新報社で行われた婦人修養座談会。
右奥、立っている方々の最前列に小谷恩師のお姿が見える
昭和6~7年頃に女性会員で組織された「婦人修養会」(後の「国友婦人会」の母体)を中心に、霊友会は昭和初期から様々な社会事業を展開していきました。
昭和12年(1937)、日中戦争が勃発すると、戦地に赴く兵士のために、越中褌(えっちゅうふんどし)(当時、成人男性の下着として普及していた)や慰問袋(出征軍人などの見舞いのために手紙・日用品・娯楽品などを入れた袋)をつくって陸軍省・海軍省に納めました。恩師久保角太郎先生のご指導で、国のために戦地で働く人々が無事に帰ってこれるようにとの祈りを込めて、慰問袋の中に経巻や数珠(じゅず)、お経文を書写したお守りなども収められました。
恩師小谷喜美先生は後年、次のように回想されています。
戦時下で晒(さらし)(漂白した麻布または綿布)の生地が手に入りにくい時代でしたが、自分の小遣いを全部出して買い求め、新しい浴衣などもほどき、みなさんに手伝ってもらって、1万4千500本の越中褌を陸軍省に納めさせていただいたのです。
次は戦地に送る慰問袋を作りました。家の中の物をはじめ、色々なものを買ってきて入れました。会員のみなさんにも手伝ってもらい500個の慰問袋を作り、各支部でもそれぞれ何百、何千個という責任を果たすようにして、日本赤十字社あるいは陸海軍省へ納めさせていただきました。全部で1万個ほどでしょうか、トラックで何台分にもなりました。
久保恩師は、「社会奉仕は他人(ひと)頼みではいけない。自分が節約をし、身をもって行うことによって社会奉仕になるんだ」と、こういうふうに教えられましたので、慰問袋に入れる足袋などについても、自分たちは古いもので我慢し、兵隊さんには新しく買ったものを入れさせていただきました。そして、戦地でみなさんが怪我をされたときとか何かの折に、心ある人が祈願できるようにと、お経巻やお数珠も収めさせていただいたいのです。
また、「お経も自分が書いたらどうだ。読誦(どくじゅ)・書写と言われているんだから、自分が筆を持って経巻の一頁だけでも書いて慰問袋に入れることがお守りになる。人がどこにいても、ご先祖さま、仏さまはご守護くださると説かれているお経の個所があるんだから、そういうところを書写してお守りをつくってあげなさい」と久保恩師が言われましたので、その通りにさせていただいたこともございます。
そして、(社会奉仕においては)「自分はここまで働いたのだから……と、何かの見返りを求めるような凡欲があったのでは布施行(ふせぎょう)にならない。凡智(ぼんち)があったのでは、社会への奉仕にはならない」と、私たちを深く諭し、説いてくださいました。
《 霊友会開教100年記念グラフ 『未来へ』 》
霊友会『開教100年』を記念して刊行された『未来へ』。大正9年(1920)、久保恩師が法華経の研究と先祖供養の実践に入られ、その後小谷恩師とともに霊友会の礎を築かれてから今日にいたるまでの歴史を、秘蔵の写真とともに振り返る記念グラフです。いつの時代も世のため、人のための活動を身をもって示された両恩師の願いと、それに応える青年部の姿などが、全7章、206ページにわたって描かれています。ぜひご覧ください。
発行:霊友会
発売:(株)いんなあとりっぷ社価格:1,500円(税込)
A4判変形/ 206ページ
明世オンラインショップからご購入いただけます
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