04.あらゆる人の苦しみを救う気持ち
昭和13年12月、小谷恩師は幹部会員とともに東京日日新聞社・社会事業団の歳末無料診療所を慰問された(同社の写真ニュースから。本文の小谷恩師のお話の中に出てくる東京日日新聞社による報道の一例)
国民全体が貧しく、社会福祉制度も十分ではなかった戦前・戦中の時代。さまざまな事情で悩み苦しむ人々のため、霊友会は多くの社会事業を展開しました。
その一つに、主に生活困窮者を対象に、東京日日新聞社(現・毎日新聞社)社会事業団など民間の会社や団体が行っていた「歳末無料診療所」を慰問し、さまざまな支援を行う活動がありました。
恩師小谷喜美先生は後年、当時を回想して次のように話されています。
昭和13年(1938)頃だったと思います。当時、毎年12月になると、歳末診療と言って、貧しさから医療を満足に受けられない人たちを対象に、民間の会社や団体による無料診療が行われておりました。暮れの20日過ぎから、そうした診療所を導師(当時の幹部会員)とともに慰問して、診療を受ける人たちと関係者のみなさんを励まし、事業費の一端にと寄付をさせていただきました。また、お餅をつくり、三河島(東京都荒川区)方面をはじめ、各方面の歳末無料診療所に配らせていただいたのです。このような奉仕活動を行わせていただいたということで、東京日日新聞社から報道されたこともございます。
当時の社会状況の中で、この霊友会の奉仕活動はどのような意味をもっていたのでしょうか。昭和15年(1940)1月発行の『霊友界報』に、奉仕活動に同行した記者の次のようなレポートが記載されています。
「それだけ恵まれざる人々が多いということは、こうした社会事業に接するたびに考えさせられる社会的な大きな問題である。係の方から伺うところによると、要救護者はここへ来るよりずっと多いのだが、仕事に追われてそれさえ受けられぬ人があるという。(中略)こうした悲惨な要救護者が社会から無くなる日は何時になるのか考えねばならぬ」。
こうした世の中の状況を憂い、恩師久保角太郎先生は、
「法華経の修行者は、あらゆる人々に対して同情の心をもつべきである。とくに衆生の苦しみに同感し、同情し、その苦しみを救う気持ちをもつことが大切である。だからこそ、社会奉仕を行わなければいけないのだ」
と叫ばれ、小谷恩師とともに、社会から求められる奉仕活動・社会事業の先頭に立たれていたのです。
〜ひとことメモ〜
両恩師の精神を受け継ぐ「ありがとう こだま 基金」