02.社会奉仕は、身をもって行う

社会奉仕は、身をもって行う

昭和12年(1937)8月、戦地の兵士のために役立ててもらおうと、
両恩師を先頭に街頭募金を行ったときの記念写真。
前列左で帽子を手に持つ男性が久保恩師、前列右端が小谷恩師

霊友会の信仰は、ご先祖のご供養をして、社会奉仕をしていくのが本願である。
―久保角太郎恩師

久保恩師のご指導にもとづき、霊友会は昭和5年(1930)の発会式の後、布教活動との両輪で、世のため人のために尽くす社会奉仕活動を展開していきます。その中心になったのは、戦争が激しさを増す昭和6~7年頃、戦地に赴く男性に代わり、家を守る女性会員が立ち上げた、「婦人修養会」(後の「国友(くにとも)婦人会」の母体)でした。

小谷喜美恩師は後年、次のように回想されています。

久保恩師が「霊友会の信仰はただでなければ功徳(くどく)がないんだよ。そうして宗教を保つ者は社会事業が本願であるんだ」と言われ、婦人修養会をおつくりくださいまして、社会事業に乗り出したわけなんでございます。  

家に居て、楽をして社会奉仕の話をすることは、人には良く聞こえるかもしれないけれども、身をもって行うことでなければ霊界には通じないと、このように考えました。

婦人修養会の最初の活動は、世の中で苦しんでいる人たちのため、また戦地の兵士のために役立ててもらおうと、街頭募金活動を行うことになりました。小谷恩師のお言葉を続けます。

導師(当時の幹部会員)とともに警察や役所に街頭募金活動の許可を取りに行きますと、新聞社にも連絡したほうがいいでしょうと言われ、最初は東京日日新聞社(現・毎日新聞社)の玄関前で約1カ月間、街頭募金に立たせていただきました。  

それからさらに1カ月ほど、導師と一緒に、お店や家々を一軒一軒募金のお願いをして回り、集まったお金を東京日日新聞社に寄託させていただいたのです。その際、社長が募金のことを大変喜ばれまして、新聞社から感謝状をいただき、新聞でも報道され、またやりましょうという相談をしました。  

こうした募金活動は、その後も折を見て会員のみなさんにもお願いをして行いました。私たちも修行であるからと、電車に乗らず、自分たちのその日のお弁当も焼き芋で済ますようにして街頭に立たせていただき、集まった募金を朝日新聞社にも寄託させていただきました。

そしてこの後、婦人修養会は、主に生活困窮者を対象に民間の会社・団体が行っていた歳末無料診療所への慰問・寄付、宮城(きゅうじょう)(皇居)外苑整備勤労奉仕など、両恩師を先頭に様々な活動を展開していくことになるのです。

《ひとことメモ》

社会奉仕活動の「嘆願書」
 昭和 6年、久保恩師のご指導のもと、小谷恩師以下数人の幹部は内閣をはじめ大臣官房や東京市長の官舎を訪れ、「嘆願書」を手渡されました。小谷恩師は後年、「ご先祖ご供養の大切なこと、大乗の御(み)教えをもち、社会に貢献したいということを書いた嘆願書を作りまして(中略)、正装をして、社会奉仕をぜひ行わせていただきたいと誓願をして、幾日となく訪問して、修行させていただいたのでございます」と回想されています。また、嘆願に行った帰りには必ず野外に立ち先祖供養の教えを説法されたそうです。社会奉仕活動への並々ならぬ久保・小谷両恩師の思いが伝わるエピソードです。