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REIYUKAIボランティア

REIYUKAI
ボランティア

2022.7.1

故郷を守りたい。その思いが 多くの人の心をつないだ

※渡邊和重さん(70歳)と母ふじ子さん(96歳)

 京都府綾部市内から30キロ離れた山間部に、2世帯3人が住む古屋という京都府で最も小さな集落がある。日本有数のトチの木が群生する豊かな森と、清流が絶えず流れる自然豊かな場所だ。


古屋の奥にはトチの森に抱かれた清流が点在する

 平成19年(2007年)に綾部市が、市内の山間の水源地に点在する集落の再生を支援する「水源の里条例」(※)を全国に先駆けて制定。古屋も「水源の里」に指定された。
※「水源の里条例」… 「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」を理念とし、過疎高齢化が進む集落に、市が特産品の開発や定住促進を援助する。

 渡邊和重さんは、平成14年(2002年)に東京から故郷の古屋に帰郷。古屋を廃村にしたくないとの思いで、5年後に「水源の里古屋」の代表になり、集落活性化の取り組みを行ってきた。

 しかし令和元年5月、渡邊さんは脳梗塞を発症。現在でも左半身に麻痺が残っている。歩行が不自由な中でも、地域のために多岐に渡る活動を続けている渡邊さんに話を伺った。

先祖代々受け継いできた故郷を廃村にしたくない!

 この活動を始める前にいた5世帯7人の住民は、私以外は皆80歳前後でした。毎月の集まりの中でも、「若いもんは帰ってこんし、もう年やし、今さら新しいことを始めてもも……」と、できない理由さがしばかり。廃村はしようがないと、誰もがあきらめかけていました。

 しかし、古屋が「水源の里」に指定されたことが転機となりました。みんなで1年ほど話し合う中で、「行政がこの山の中に目をかけてくれたのは、明治時代以来初めてや。これは最後のチャンスや」「奈良・平安の御代から続いてきた古屋を廃村にしたくない。これから住む人達のための礎を築いていきたい」。そんな思いが芽生え、みんなの心が一つになりました。

人は支え合ってこそ生きていけるから

 そこで、古屋に住むおばちゃんたちが培った技術と経験を生かし、名産のトチの実を使った特産品を作リました。とち餅に加え、トチの実のおかきやあられ、クッキー、トチの実の焼酎などを新たに開発し、地元の温泉や販売店などに卸しました。お客さんたちからは、素朴で懐かしい味わいだと大変評判になりました。

「水源の里古屋」の取り組みをきっかけに、高齢化社会の中でも生き生きと暮らす集落の好例として、全国的に注目が集まった。

 地域経済や環境政策を研究する大学教授や学生たちは、渡邊さんたちの思いにふれ、古屋の取り組みを手助けしたいとボランティア活動を始めた。また、高齢者による村おこしの取り組みが珍しいこともあり、テレビや新聞などの各種メディアで報じられるようになる。

 平成23年(2011年)には、自主応援組織「古屋でがんばろう会」が結成された。現在は京都府内外から300人以上のボランティアが登録。毎月1〜2回、道路の整備や、薪割り、トチの森の鹿除けネット張り、雪かきなど古屋の生活に必要な作業を行っている。

 毎年秋にはトチの実拾いが行われ、古屋の大自然に惹かれた親子連れや若者など多くのボランティアが集まる。たくさんのトチの実を拾った後、古屋の公民館に戻り、おばちゃん特製のとち餅ぜんざいが参加者に振る舞われる。充実感を分かち合い、継続して参加するボランティアは年間で700人をくだらない。

トチへしを使ってトチの皮をむく「水源の里古屋」の人たち(2018年撮影)

「ずっと頑張ってきた渡邊さんやおばちゃんたちをほうっておけない」

 15年前は年間40人ほどだった古屋を訪れる人が、今は3000人を超えるという。渡邊さんは語る。

 古屋のおばちゃんたちは90歳を超えても現役で、毎日お餅作りに忙しい。若い子は、「おばちゃんたちから元気をもらった!」と喜んで帰っていきます。健康で穏やかに暮らすために大切なことは、いくつになっても社会と関わり、人に必要とされていると感じられることではないでしょうか。

 私が脳梗塞で倒れたとき、世間は「これで古屋はお終いだ」と思ったことでしょう。ですが、「古屋でがんばろう会」の人たちが「ずっと頑張ってきた渡邉さんやおばちゃんたちをほうっておけない。今こそ力を合わせて古屋を支えよう」と活動を続けてくれました。私はそれを知ったとき、病室で人目も悼(はばか)らず号泣してしまいました。

 今の私には、実際に体を動かす作業はできません。ですが、自分にできることは何かと考え、作業の段取り、各所への呼びかけなどに取り組んでいます。

 故郷を守りたい。その一心であきらめずに取り組みを続けました。大変なときも応援してくれる人たちがいたからこそ今まで続けてくることができました。病気を経てから、「人は支え合ってこそ生きていけるのだ」と、あらためて思いを強くしました。

 これからも「水源の里古屋」の活動を通じて、みんなで力を合わせて、故郷の存続のために尽くしていきます。