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ボランティア
2022.4.30
【障がい者スポーツ普及ボランティア 細川信和さん(71歳)】一緒に汗を流して、ふと心が通じ合えた瞬間がうれしい!
40年以上にわたってボランティア活動を続ける理由
細川信和さん(71歳)は、埼玉県新座市で妻の志ず子さんと2人暮らし。20代の頃からボランティア活動に取り組み、障がいのある人の生活支援や、趣味の詩舞を生かした車椅子ダンスを行ってきた。今は都内で建築設計事務所を経営する傍ら、地元の町内会の役員や障がい者スポーツ教室の主催など新しい活動も始めている。
細川さんがボランティア活動を始めたきっかけは、妻と一緒に習っていた詩舞(しぶ)の先生に、高齢者施設への慰問に誘われたことから。
細川さんに、40年以上にわたって活動を継続する原動力について伺った。
細川信和さん
「人に喜んでもらえることが、何よりも嬉しいからですね。たとえば車椅子ダンスで一緒に汗を流して、ふと心が通じ合い、相手に笑顔になってもらえた瞬間は、私も元気をもらえるんです」。
細川さんが霊友会の教えに出合ったのは23歳のとき、結婚した妻が会員だった。妻に誘われ、支部長や地元の会員たちと関わるようになり、彼らの温かい人柄に惹かれたことがきっかけで入会した。現在は友人や同僚に教えを伝えながら、霊友会が応援する福祉団体「三者の会」ではスタッフとして活躍し、同会の相談役を務めている。
「ボッチャ(※)」という、カーリングと似たルールを地上で行う、障がいのあるなしに関わらず一緒に楽しめるスポーツがある。細川さんは今、ボッチャの普及活動に熱心に取り組んでいる。
細川さんがボッチャを知ったのは平成26年(2014年)のこと。運営に携わった埼玉県内の福祉イベントに、一般社団法人埼玉県障害者スポーツ協会から講師を招いたことからだった。
「初めてボッチャをやってみたときは驚きました。小さい子からお年寄りの方、障がいのある方が一緒に競い合い、とても盛り上がったからです」。
以来、細川さんは、定期的に慰問している障がい者福祉施設や、ボランティア仲間に声をかけ、ボッチャの楽しさを広めている。そして月に2回、埼玉県内の体育館や福祉施設内でボッチャ教室を主催し、多くの人が参加してきた。
一昨年はコロナ禍の影響を受けて一時中断したが、参加者や福祉施設からの要望が集まり、感染対策を取ってボッチャ教室を再開したという。
「ボッチャでナイスショットを決めたときは、チームに関係なく拍手が起こります。活躍した人がチームメイトに駆け寄って肘タッチをしたり、褒め合ったり…。私はそんな光景を見て、『誰も一人ぼっちにしない、こんな球技は他にないな!』と心が躍りました。みんなで汗を流した後に、参加者から「次はいつできるんですか?」と声をかけてもらえると、嬉しいものです」。
自分の住む街を明るくする活動がより良い自分を育ててくれる
細川さんは壮年や青年の会員、未会員の若者たちにも障がい者スポーツやボランティア活動の魅力を伝えている。
支部のつどいで、群馬県に住む会員のTさん(50代・男性)にボッチャを教えたときのこと。普段は落ち着いた物腰のTさんがボッチャの魅力を知り、自分から意見を出してボッチャの普及に積極的に動くように。彼の提案から群馬県の自治体と縁がつながり、町おこしの一環として、ボッチャ教室を商店街で開く企画を進めている。
「地域に住む人たちが仲良く、困ったときは助け合える社会をつくりたい」と話す細川さん。次の世代の人たちにも伝えたいことがあるという。
「人間が自立し、幸せに生きるために大切なことは、孤独にならないことに尽きます。チームスポーツのボッチャやボランティア活動は、周りの人や地域に住む人たちとの絆が生まれるきっかけになると感じています。
私は若い頃からボランティアや霊友会の教えを実践していく中で、相手を思いやる心や、いただいた恩をお返しすることの大切さを学べました。
一度だけでも、ボッチャをはじめとした障がい者スポーツに触れてみてください。
また、地元の社会に目を向けて、ボランティア活動から得る充実感をぜひ体験してみてください。自分の住む街を明るくする活動が、きっとより良い自分を育ててくれることにもつながります」。
※地元の体育館で行われたボッチャ教室。白い目標球に狙いを定める参加者にアドバイスする細川さん
※ボッチャ…障がいによって体を動かしにくい人のためにヨーロッパで生まれたスポーツ。競技者は二手に分かれ、手のひら大の赤と青のボールそれぞれ6個を、的の目標球(ジャックボール)に向けて転がしたり投げていく。目標球にどれだけボールを近づけられるかを競い合う。「ボッチャ」はイタリア語で「ボール」の意味。パラリンピック正式種目。