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REIYUKAIボランティア
REIYUKAI
ボランティア
2023.10.1
大切なものが失われていくのを
見過ごせなかった
仏堂修復活動ボランティア 仁平 富美子さん (48歳)
子どもの頃から慣れ親しんだ場所が荒れ果てていく―。その様子にいてもたってもいられなくなった、福島県西白河郡西郷村に住む仁平富美子さんは立ち上がった。一人から始めた彼女の行動は、やがて地域住民の心を動かしていく。
| 地元の人たちで力を合わせて明るい地域を取り戻そう!
西郷村の大通り沿いで、トルコモザイクランプの手作り体験や販売を行っているランプ工房sifa(シーファ)。店内はカラフルな色彩のトルコモザイクランプが優美に輝く。手作り体験では店主の仁平さんの丁寧な指導が好評で、県の内外からお客さんが訪れている。
そんな工房の斜向かいに、西郷村の子安観世音堂という仏堂がある。平安時代後期に建立されたと伝えられ、平成4年(1992)には貴重な建築物として西郷村指定重要文化財に指定された。しかし、年月と共に建物の管理が行き届かなくなり、次第に境内や本堂は荒れ果てた。
子どもの頃から子安観世音堂を「観音様」と呼んで親しんでいた仁平さんは、その状況を放っておけず、定期的に境内の清掃をするようになった。今年からは有志と協力し、子安観世音堂の修復活動も始めた。
なぜ仁平さんは立ち上がったのか。そこには彼女の幼少期の思い出や、高校時代に亡くなった祖父・軍治さんの影響もあったという。
祖父は霊友会の準支部長で、西郷村の農業委員会の初代会長も務めていました。今は工房になったこの家にはよく、霊友会の会員や村の人が祖父を頼って尋ねてきていました。
祖父の物腰はいつも柔らかく、悩んでいたり生活に困っている人に手を差し伸べることを何よりも大切にしていました。そんな祖父を、私は幼心に尊敬していました。
私たちは家族で一緒に子安観世音堂に参拝することもたびたびあり、時には祖父が綺麗な花を植えていました。私が子どもの頃は子安観世音堂に友達と集まり、日が暮れるまで遊ぶのが日常でした。ここで夏祭りが開かれていたこともあります。友達と一緒に子ども神輿を担ぎ、家族と盆踊りを楽しみました。今でも忘れられない思い出です。
| 当時の面影を残したまま大切な場所が寂れていて…
仁平さんは会社員として働いていたが、38歳のときに卵管がんと診断を受ける。手術を受けてからも再発の可能性があったが、病に怯えるよりも後悔のないように生きようと、北米や中央アジアなど諸国を巡る旅に出た。
その旅路でトルコモザイクランプに出合い、カラフルな灯りがつくる世界に魅了された。帰国後にはカルチャースクールに通ってランプ作りを学び、平成29年(2017)に白河市でランプ工房sifaを開いた。
翌年には幼少期を過ごした家を自分で改造し、現在の工房をつくりあげた。工房の窓からも見える子安観世音堂の様子が気になったのは、そんな時だった。
多彩なモザイクガラスから色を吟味し、トルコモザイクランプを手作りする
「ランプ工房sifa」の手作り体験でお客さんがつくったモザイクランプ
境内は雑草が生い茂り、老朽化した本堂には参拝客の姿はなく、平安時代の神仏習合の名残を残す鳥居は根本から腐って傾いていました。私たち家族やみんなが親しんだ場所が、当時の面影を残したままに寂れていくのは、しのびなくて……。
氏子会の会長と知り合いの父を通して事情を聞くと、仏堂の修復は金銭的に難しいとのこと。また、氏子ではない人からの手出しは無用とのことでした。諦めかけていたときに、友人が自主的にとある神社の清掃をしていると聞きました。私も、何もしないまま諦めずに、掃除だけでも始めてみようと、早朝にこっそり定期的に掃き掃除を続けました。
そんな中、昨年末に氏子会の組織再編が行われました。それを機に私は、氏子会の方々に修復活動の許可をいただきたいと直接伝えました。「私は大工ではありませんが、お金をかけず、自分の手で、できる限りのことをさせてください」と心を込めて伝えると、思いが届いたのです。
私は様々な伝手で素材を探しながら、工作好きの腕を生かして私一人でも修復に取り組むつもりでした。そのことを取引先や地元の仲間にも話していると、善意で協力してくれる方たちが現れたのです。
地元の仲間と境内の除草作業に励む仁平さん。境内に設置された白い棚(写真右奥)には、子安観世音堂の修復活動の際に出土した恵比寿像を大切に保管している
| 困難の中でも歩んできた姿が人の心を動かした
まずは鳥居を建て直すため、丸太は同級生が営む工務店から無償で提供していただき、継ぎ目の加工はトーテムポールを彫刻する職人さんに協力してもらいました。色あせた本堂には工房のDIY(※)に使用した残りのペンキを使い、不足分だけ購入し、友達や家族と一緒に塗り直しました。他にも千切れていた鈴紐を代えるために、母から不要な着物を貰い、母と2人でよりあわせて鈴紐に加工したのです。
かつての鳥居は色あせて傾いていたが、仁平さんたちが力を合わせて建て直した
そうしていると、一緒に定期的な除草作業をしてくれる仲間から、夜でも参拝できるようにと境内に設置するライトを寄贈していただいたり、氏子会の若い人たちが進んで境内を掃除してくれるようにもなりました。大切な仏堂を子や孫の代まで残していこうと、力を貸してくれる方々にはありがたい気持ちでいっぱいです。
半年ほどが経ち、子安観世音堂の修復は順調に進んでいきました。付近の住民の方からも、「見違えるほど綺麗になった」「一帯が明るくなったね!」と喜んでいただきました。
その一方で、「ここに仏堂があるなんて知らなかったよ」と驚く人も……。存在を知ってもらえて嬉しかったと同時に、ふと思いました。地域にとって大切な場所や文化が廃れていく様子を目にしても、他人事だと見過ごされるのは、どこでも起こりえることなんじゃないかと。
私は今まで、どんなに困難なことでも、まずは動いてみることを大切にしてきました。考えすぎて立ち止まるのではなく、一歩ずつでも進んでいけば、誰かが力を貸してくれたり、光明が見えてくるのだと信じて。きっと、村のために力を尽くしてきた祖父と父をはじめ、この土地を受け継いできてくれた西郷村の先祖たちも、同じことをしてきたのだと思います。
私たちの修復活動はまだ道半ばです。村の大切な遺産と伝統を後世に残していくために、全力を尽くしていきます。
※DIY=自分で何かを作ったり、修繕したりすること。
Do it yourselfの略