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ボランティア

2024.8.1

地域のみんなでつくる
命を守る防災活動

防災ボランティア 森浦 光一さん(65歳


地域防災委員の取り組みを説明する森浦さん。洪水ハザードマップの定期的な更新、避難マニュアルづくり、防災知識の啓発など、幅広い活動のすべては地域住民を守るためにある

 全国の自治体では、「自分たちの地域は自分たちで守る」ことを目標に、町内会レベルで自主防災組織をつくり、災害での地域住民の被害を極力抑えるために備えようと努力している。霊友会会員の森浦さんは、長年にわたって地域防災のボランティアに取り組み、全国各地の被災地にも足を運んで、調査をしてきた。森浦さんが目指す、命を守る防災にかける思いを紹介したい。

|   防災の意識を少しずつでも地域に浸透させるために…

 大阪湾に面する大阪府堺市に住む森浦光一さん(65歳)は地域の自主防災組織の一つ、「堺市北区五箇荘校区自主防災委員会」の副会長を務めている。森浦さんたち地域防災委員は、防災計画書や避難マニュアルづくりをはじめ、防災知識の啓発や、定期的な地域の避難訓練の実施などを行ってきた。しかし、その活動には様々な問題もあると森浦さんは語る。

 人には太刀打ちできない自然災害が、いつ私たちの身に降りかかるか分かりません。私たちは災害発生時の被害を少しでも抑えるために活動していますが、仲間の一人から、「町内のマンションの住民が協力してくれない」と相談されたこともあります。

 昨今の集合住宅では、隣人の顔を知らないことも珍しくありません。私は彼一人に背負わせないように、一緒にマンションを回って、積極的に手伝いました。また、仲間同士で苦労話を分かち合いながら、防災委員を務めてくれていることへの感謝を伝えました。そうして支えていく中で、彼も命を守る地域防災委員としての意識や自負を少しずつ身につけてくれて、今も頑張ってくれています。

 森浦さんは防災についての考えを、家族をはじめ縁のある人たちみんなに積極的に伝えるように努めている。家庭における備蓄品のことや、旅行先で災害にあったときに取るべき行動と避難の方法など、普段から意識して備えておくべきことをしっかりと話し合う。

 「久しぶりに会った方たちから、『森浦さんに教えてもらった防災、忘れずに取り組んでいますよ』と言ってもらえたこともありました。そんなときは、防災の意識が少しずつでも浸透しているのだと実感できて、うれしいですね」と森浦さんは話す。

 森浦さんは、NPO法人「大規模災害対策研究機構」に長年所属して活動を続けている。日本各地の被災地に足を運び、現地の自治体や専門家らと協力して防災の研究に取り組む団体だ。


北海道内の大学で、巨大地震による想定津波と対策について専門家の講演を聞く「大規模災害対策研究機構」の方々

 きっかけは25年ほど前、防災技術を研究している京都大学名誉教授の河田惠昭さん(78歳)と、仕事の縁で出会ったことからだった。河田教授は、「大規模災害対策研究機構」の前身組織である「東海・東南海・南海地震津波研究会」の発起人だった。

 河田先生は防災の研究はもちろん、災害に直面した人たちに寄り添うことが大切だと強調されています。困っている被災者に手を差し伸べて、自分にできることから助けていくこと。つらい思いを抱えた人を孤独にしないこと。それを多くの人に伝えて、人生をかけて人の命を守ろうとする信念に、私は非常に感銘を受けました。


東日本大震災で被災した岩手県釜石市で行われた大規模災害対策現地勉強会。現地の担当者と意見を交わす河田教授(右から2人目)の姿も

 河田先生の姿は、若い頃の私をよく気にかけてくれた、霊友会の先輩の姿とも重なって見えました。

|   防災と霊友会の教えには通じるものがある

 森浦さんが霊友会の教えに出合ったのは、大学4年生の時。当時、突然患った目の病気で、大学に行けなくなったことがきっかけだった。

 家にこもり、母とは些細なことからケンカばかりしていました。そんな私を心配した叔母から、つどいや弥勒山に誘われたのです。最初は人に会う気になんてなれなかったのですが、叔母は幾度となく私のもとに訪れて、私の不安な気持ちを聞いてくれました。元気になってもらいたいからと真っ直ぐに伝える叔母は、頑なだった私の心も少しずつ動かしてくれました。

 叔母と参加したつどいで、ある女性の支部長と出会いました。私が自分の現状を愚痴っぽく話すと、支部長は、「あなたのお母さんは、悩んでいる息子の力になれずにいつも罵られて、どれだけ悲しいか考えてごらんなさい」と。人を責めてばかりの自分を見抜かれたようで、心に刺さりました。つどいから帰って母に向き合うと、申し訳なくなって、涙が止まらず、母に心から謝りました。それからは、自分でも驚くほどに元気を取り戻せたのです。

 無事に大学を卒業した森浦さんは、担当教員との縁から防災事業を行う会社に就職。防災士の資格を取得した。そして河田教授と出会い、その信念に惹かれた森浦さんは「大規模災害対策研究機構」に入り、活動を始めた。

 歴史的に自然災害にあった土地や地域の人々が培ってきた防災の知識、被災地の実情は、現地でしか得られないことが数多いと森浦さんは言う。

 そして先人たちが命を守るために積み重ねてきたものが、現代の防災に生かされていく。平成23年(2011)3月に発生した東日本大震災から6カ月後、森浦さんたちは三陸沿岸地方の被災地に向かった。

 とりわけ、津波によって大勢の児童が亡くなった、石巻市立大川小学校の光景は忘れられません。ランドセルや靴が散らばったままの校庭に設置された献花台には、亡くなった子どもへの手紙が置かれていました。子どもたちや親、教師のみなさんの無念さを思うと、胸が痛んで仕方がありませんでした。

 私たちは危険な状況が迫っていても、自分だけは大丈夫だと思い込む。いわゆる「正常性バイアス」にとらわれてしまうことも少なくはありません。正確な知識と対応方法を、普段から意識づけしておくことの大切さを痛感しました。


東日本大震災から12年後、三陸沿岸地域の復興状況の調査のため、稼働する津軽石川水門を視察

 被害の現場を目の当たりにしたことで、より一層、自らの使命を感じたという森浦さん。自分にできることは、一人でも多くの人に防災の意識を伝え続けることだと、活動を続けている。

 発生の確率が高まっている「南海トラフ地震」が起きた場合、私の住む堺市でも甚大な被害が予想されています。私たちが培ってきた防災への知見を、仲間たちと協力して必ず生かしていきたい。私が生まれ育ったこの町に住む人たちを守りたい、その一心です。

 同じ地域に住む人を思い、困っている人を一人でも多く助けたい―。防災と霊友会の教えには通じるものがあると思うのです。私はこれからもその思いを胸に、命を守るための活動に取り組んでいきます。

<社会貢献  まめ知識>

コミュニティのつながりが命を助ける

 「自助」とは一人ひとりが自ら取り組むこと、「共助」とは地域や身近にいる人同士が一緒に取り組むこと、「公助」とは国や地方公共団体が取り組むことです。大規模広域災害が起きた場合、「公助」以上に重要とされるのは、「自助」と「共助」です。

 内閣府の調査によると平成7年(1995)に発生した阪神・淡路大震災では、地震によって倒壊した建物から救出され、生き延びることができた人の約8割が家族や近所の住人等によって救出されており、警察及び自衛隊によって救出された人は約2割であったという結果があります。また、平成23年(2011)に発生した東日本大震災でも、「自助」「共助」による活動に注目が集まりました。

 このように、コミュニティごとの助け合いの精神こそが災害時には重要であり、万が一に備えておくことが大切です。一人ひとりの備えと連携で防災力を高めましょう。