児童養護施設へ入所する理由の65%は虐待です。これには、全国の児童相談所への児童虐待に関する相談件数が増加し続けていることが関係しています。「虐待」は、身体的虐待・性的虐待・心理的虐待・ネグレクトの4つがあり、最近では心理的虐待が急増しています。虐待については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
世の中の問題を他人事にせず、自分にできることから社会に貢献していく。そんな青年を目指すためのコーナー。今月は、関東ブロック・長野県のMyおせっかい推進委員会が共催した「社会を学ぶサロン」(1月30日・オンライン)を取り上げます。
10年前から長野県の青年たちが関わり、霊友会が「ありがとう こだま 基金」で支援をしている「社会福祉法人つるみね福祉会児童養護施設『つつじが丘学園』」。川瀬勝敏園長の思い、児童養護施設から見える社会の問題について伺いました。
〜「つつじが丘学園」について 〜
昭和26年創設。定員47名で、現在は46名が入所している。子どもたち一人ひとりの「自立支援」を基本理念に掲げている。「社会福祉法人つるみね福祉会」はその他、地域小規模グループホームを運営、昨年4月には保育園を新設するなど活動の幅を広げている。
子どもたちの夢を応援できる社会に
社会福祉法人つるみね福祉会児童養護施設
つつじが丘学園 川瀬 勝敏 園長
児童養護施設は現在、全国に約600カ所あります。虐待を受けた子どもや親を亡くした子ども、事故や災害、貧困など、さまざまな原因で親と一緒に暮らせない子どもを保護し、自立に向けた支援を行う施設です。私は長野県岡谷市にある社会福祉法人つるみね福祉会児童養護施設「つつじが丘学園」に勤めて約30年。いろんな子どもたちと関わる中で、今の社会を変えていかなければという思いは日に日に増すばかりです。
大学時代、これから自立して生きていくために、自分には足りないものが多すぎると感じて、卒業後にアメリカへ渡りました。ボストン東スクールという、自閉スペクトラム障がいの教育施設で働きながら暮らした2年間。仕事の面だけでなく、多様な文化や人、地域社会にふれる良い機会となりました。
帰国後、母校で「つつじが丘学園」の求人を見つけ、就職しました。ここで働きながら、今後の人生を考えよう。しばらくしたらまた海外へ行こうか。そんなことを考えていたんですが……。
毎日、「明日も遊んでくれる?」と手を握りしめてくる子どもたちの表情や仕草が、どこか怯(おび)えているような、助けを求めてくるような、普通ではない感じだったんです。ああ、この子たちは今まで寂しい思いをたくさんしてきたんだろうなと思いました。
この子たちをほっとけない。それが私のスタートでした。それから、子どもたちを守るには、彼らがより良く育っていくにはどうすればいいか。その答えを求め、悩みながら今日までやってきました。
一人ひとりの心に寄り添う
今でも忘れられない出来事があります。10数年前、中学3年生のAさんが、バスケの強豪校から推薦入学の話をもらいました。しかし彼女は父子家庭で、父親は体が弱かった。「県立高校に行って、アルバイトをして家計を助けてほしい」とAさんは父親に言われていたんです。
私は2人と話をしました。父親には「強豪校でやっていけるのか」という心配もあり、その気持ちも分からないではない。でも、泣きながら返事を拒むAさんを見て、大好きなバスケにかける彼女の思いに胸を打たれたんです。バスケで壁にぶつかったときは本人の努力次第。でも、挑戦すらできない環境は彼女のせいじゃない。私はAさんの道を狭めることに納得できず、「うちの施設で責任をもちますから、認めてあげてください」と父親を説得しました。当時は児童福祉法が改正される前で、今のように「子どもの権利」を主張できる時代ではありませんでしたが、Aさんの気持ちを思うと言わずにはいられませんでした。父親はしばらく無言でしたが、最後は了承してくれました。
そうしてAさんは希望校に進学。一日も休むことなく、毎朝自分で弁当をつくり、高校生活を送ることができました。彼女は今、結婚して幸せに暮らしています。
父親も体の問題がなければ、最初から娘を応援したかっただろうと思います。Aさんも、父親の反対を押し切るようなことはしたくなかったでしょう。どちらも辛かったと思うんです。Aさんの思いを大切にして、施設のみんなで親子を応援していこうと決めたあのときの判断は、今でも間違っていなかったと思います。そして私にとって、Aさん親子のように苦しい思いを抱えている人たちが救われる社会にしていきたい。そう強く思うきっかけにもなりました。
しかし一方で、なぜAさんだけを特別扱いするんだという声が出てくる。施設の職員の間でもです。支援の金額はどの子にも平等に、と。
ですが、子どもたちの置かれている状況は一人ひとり異なります。性格も、やりたいことや将来の夢も違う。その子にとって何が必要か、何がその子の幸せにつながるのか。支援の形やスタイルを同じにするのではなく、一人ひとりの心に寄り添う公平性、平等性が大切なんです。
血のつながった親が子育てで悩むんですから、他人である私たち職員が、子どもたちと関わる上で悩むのは当然のことです。だからこそ、チームで支え合う。みんなで力を合わせ、知恵を出し合い、より良い答えを見つけていく。それを大切にしています。
児童養護施設から見える社会の問題
日本では戦後、戦争で親を亡くした多くの子どもたちの命を守るために、昭和 22年に児童福祉法が制定され、児童養護施設は全国に広がっていきました。その後、経済が成長し、核家族化が進んで社会は大きく変容しました。虐待を受けたり、親から見放されたりと、さまざまな事情で家庭に居場所がなくなり、周りに助けてくれる人もいないという子どもたちを守ってきたのが児童養護施設の歴史だと思います。
昨今、ひとり親世代もますます増え、孤立した子育てや、貧困の問題などが深刻になっています。SNSが発達し、個人の自由や生き方が尊重される社会になった一方で、他人に関心をもたない、間違った自己責任感が社会に広がっていくことを私は危惧しています。
昨年5月に「つつじが丘学園」に来た高校3年生のBさんは、家庭の事情で大学進学をあきらめていました。しかし、私たちの施設で、自分のような環境でも大学へ行くことを応援してもらえたことが分かったときは嬉しかったと言うんです。彼女は大学へ行くことを決めました。
子どもたちの夢を応援できない社会であってはいけないと、子どもたちとの関わりの中で私は思っています。
私たち児童養護施設は、最後の砦(とりで)です。本当は子どもたちを守り、育て、その子が一番幸せになれるように応援する人がもっと必要なんです。コロナ禍になり、人と人との関係はますます希薄になっています。私たち一人ひとりにできることは、日頃からもっと他人に思いやりをもって、おせっかいなくらい、積極的に周りの人と関わっていくことではないでしょうか。
どんな環境にあっても、子どもたちが自分の夢や希望をもてる。そんな社会にしていくために、みなさんと共に私も頑張っていきます。
〜参加者の声〜
一体、自分はどれほど恵まれた環境で育ってきたか。たくさんの人に支えられ、今があるか。川瀬園長の話を聞いて、子どもに虐待してしまう親の側も、いろんな事情で悩み、苦しんでいるんだろうなと感じました。周りの友達も子育て世代が増えてきています。絶対、孤独の子育てにさせない。ひとりぼっちにさせない! みんなでそういう社会をつくりたい。(30代・男性)
社会貢献って自分一人では難しいと思っていました。でも、私たち一人一人が社会の問題を他人事にせず、きちんと向き合っていく姿勢が大切なんですね。私は将来、子どもと関わる仕事がしたいので、子どもたちの幸せのために、その周りにいる大人たちが抱える問題にも寄り添っていけるように、いろんな人に自分から声をかけて関わっていきます。(20代・女性)
自分の夢や目標をあきらめていた中学生や高校生とのエピソードがとても心に残りました。川瀬園長のおっしゃるように、社会全体が変わっていくことが必要なんだと強く感じました。思いやりやおせっかいがあふれる世の中になるように、普段の生活から、周りの人に積極的に声をかける。そういう仲間を増やしていけるように、私にできることを頑張ります。(50代・ 女性)
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Ourおせっかいエピソード
長野の青年たちと「つつじが丘学園」の関わり
霊友会青年部と「つつじが丘学園」との出合いは2012年。当時の「おもいやり連鎖運動」長野県推進委員会委員長のこんな思いからすべてが始まった。
「児童養護施設で育った同僚から、施設は資金面などで苦しい状況にあると教えられた。さまざまな事情で親と離れて暮らしている子どもたちのために、自分たちにできることをしたい」。
児童養護施設を支援したいと活動をスタートさせた長野の青年たちは、県内にある施設を訪問し、どんなことに困っているかなど、施設の現状を聞いて回った。その中で知ったのが、手拭き用のミニタオルや、施設で使う雑巾が不足していることだった。
早速、地元の仲間に呼びかけ、未使用のフェイスタオルを集めて、寄贈用に縫い直す活動を始めた。会員だけでなく、職場の同僚や地元のボランティア団体にも呼びかけた結果、手拭き用のタオルは500枚以上、雑巾も枚近くできあがった。同年6月、2カ所の施設に贈ることができた。
そのうちの一カ所が「つつじが丘学園」。このことをきっかけに、施設への慰問活動など、施設の子どもたちとの交流が生まれたのだった。
2012年6月、長野県の青年たちが、「つつじが丘学園」を含む県内2カ所の児童養護施設に寄贈した手縫いのミニタオルや雑巾
私も元気や勇気をもらっています
活動初期から関わってきたSさん(女性・40代)
私は2012年当初から、長野の青年部の一員として、「つつじが丘学園」の子どもたちと関わってきた一人です。
物資の寄贈から施設との交流が始まり、子どもたちが置かれているさまざまな現実を知った私たちは、もっと彼らと関わりたい、何かさせてもらいたいと思うようになりました。
その思いを川瀬園長に伝えると、快く受け入れ、施設を慰問する機会をつくってくださいました。そうして一緒に遊んだり、お菓子やケーキ作りをしたり、子どもたちと交流する活動が始まりました。
最初に行ったときに、押し入れに隠れて出てこなかった子がいました。でも、私たちがほかの子たちと交流しているうちに出てきて、パンチしてきたり、じゃれ合ってくるようになりました。そして帰り際「、また来るね」と言うと、その子が「どうせ来ないでしょ」と言って泣き出してしまったんです。本当に今まで寂しい思いをしてきたんだなと、胸が苦しくなりました」。あんな顔を見たら、また行かないわけにいかないよね」。そうみんなで話して、継続して足を運ぶようになったんです。
その子は今、高校生。コロナ禍になる直前に会いに行ったとき、将来は介護士になりたいと話してくれました。そのとき私は介護士に転職して3年目。介護福祉士の資格を目指すかどうか悩んでいたんですが、将来、何かその子の後押しができる自分になりたいと思い、資格を取る決意をしました。子どもたちと関わる中で、私も元気や勇気をもらっています。これからも私たちにできることを見つけ、取り組んでいきます。