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REIYUKAIボランティア

REIYUKAI
ボランティア

2021.11.1

助けてください!という叫び。 患者と家族の心を救いたい
在宅看護研究センターLLP

救命するだけじゃいけないんだ。心に寄り添わなきゃいけないんだ

「ありがとう こだま 基金」の贈呈先の一つ、「在宅看護研究センターLLP」(村松静子代表/LLPは有限責任事業組合の略)は、時代に即した在宅ケアシステムの構築をめざし、行政をはじめ病院、大学、企業などと共同研究開発に取り組んできた。

 霊友会との交流が始まったきっかけは、「日本の病院を心温かなものに変えたい」という運動を進めていた作家の故・遠藤周作氏を通じて、霊友会の活動組織の一つだった「魂の開発集団」とつながったことからだった(昭和53年)。

 当時は今のように介護保険や、在宅看護に関する法整備などがされておらず、医師会も、自宅では十分な看護ができないという理由から在宅看護を認めていなかった。そういった時代にいち早く在宅看護・介護の必要性を訴えてきた村松氏を支援してきたのが霊友会だった。

 9月18日に開催された「いんなあとりっぷ在家のつどい」で、スペシャルトークに出演した村松代表の話から抜粋して紹介する。

※在宅看護の研修で指導をする村松代表。若手の看護師を育てるのも大きな役割の一つ

 遠藤先生からご紹介いただき、魂の開発集団で介護に関する電話相談などを受けながら、在宅看護という道を模索しておりました。このとき、霊友会で、「在宅ケア費用援助制度」を作ってくださり、訪問看護の制度は大きく前進したのです。

 ボランティアが在宅看護の原点ですけれども、24時間必要な看護はボランティアだけでは継続できなかったと思います。今でも、当時の「後援・心の開発集団JAM」(※)と書いてある手作りのパンフレットを大事にとってあります。 

 私が在宅看護の必要を強く感じたきっかけは、一人の患者さんとご家族との出会いでした。当時私はICU(集中治療室)の看護師で、緊急入院されたその方はICUで一命をとりとめ、その後、一般病棟に移り約3年が経っていました。

 ある夜、私の自宅へその患者さんのご家族から一本の電話がかかってきました。「助けてください。もう退院してもいいと言われたのですが、紹介されたリハビリのための病院に転院しても、きちっと面倒を看てくれるのか、それとも付き添いをつけなくてはいけないのかなど、いろいろと心配ごとが多くて…。村松さん、家では看られないのでしょうか?」。

 しばらくお話を伺いましたが、在宅で看ることを希望するご家族にとって、果たして自宅で看護できる環境なのかどうかということはとても深刻な問題でした。

 この時、私は、「救命するだけじゃいけないんだ。その後の相手の立場に立って考え、心に寄り添わなきゃいけないんだ」と、強く感じたのです。それからは、同志を募り、昼間は看護師の役務を担い、仕事が終わってからボランティアで在宅看護をしてきたのです。


※ICUの看護師をしながら、在宅看護の道を模索していた頃

聞くこと、関心を持つこと。これが凄く大切

 医療の現場では、患者と看護師という関係の中で、相手の心の風景を読むことが大切なのだと思います。それは、「今、患者さんはなぜナースコールを押しているのだろう?」と、相手の心に思いを寄せるということです。寄り添うという言葉にはいろいろな意味がありますが、一番求められる「寄り添う」というのはそこではないかなと思います。

 一方通行で話すだけではなく、どうしてだろうと患者さんの話を聞こうとする姿勢。患者さんの状況に関心を持つ気持ち。私はそれがとても重要で大切なことだと思っています。

 今日、皆さんにお伝えしようと思ったことは、「人と話をするとき、自分の心の中に隙間を作ってください」ということです。つまり、少しの余裕を持って人の話を聞くのです。相手の心に目を向ける。そして自分の心に素直に受け止める。そうすることで相手の気持ちに寄り添うことができると思うのです。 

 My おせっかい、Ourおせっかい、ぜひ続けてください。私も続けます。ありがとうございました。

※8月5日、「ありがとう こだま 基金」の目録を、日東寺博光社会貢献委員会委員長から受け取る村松代表