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特別企画 青年部創立70年 弥勒山建立60年 恩師小谷喜美先生の思いを現代に-

2024.7.1

なぜ「青年」なのか―弥勒山修行に込められた願い

 多くの人との関わりの中で自分の足りないところに気づいて、心と行いを改めていく「懺悔(さんげ)の修行」。その修行を導いてくださるのが弥勒菩薩であり、私たち青年一人ひとりが世のため人のために尽くす決定(けつじょう)を固め、下山後の活動を弥勒菩薩に誓願する場として、小谷恩師は「青年の修練道場」弥勒山を建立されました。

 なぜ「青年」なのか―。そこには、小谷恩師の揺るぎない信念がありました。『明法』昭和34年(1959)5月号と8月号の中で、小谷恩師はそれぞれ次のように話されています(一部要略)。

 人は、自分が平穏に生きていかれるのなら、面倒なことや他人事(ひとごと)にはあえて関わらないものです。しかし、恩師久保角太郎先生は、「人間は誰でも、ただ生きていくためにこの世に生まれてきたんじゃないんだ。戦争を起こし、平和な世の中を破壊しようとする目に見えないところの悪魔を打ち負かし、国や社会のために一丸となって努力して、みんなの幸せを築いていかなければならない。このことを実行していくことが、霊友会の大使命であるんだ」と、常日頃から教えておられました。

 次代を担う若者たちにこそ、そうした荒波を乗り越え、人や社会のことを思って行動していく心構えを築く修行をしていただきたい。青年部の御旗(みはた)を掲げて弥勒山で修行していかれるということは、「私たちは世界平和のために行動していくんだ」という、霊界との大きな約束があるように私は思わせていただきます。(5月号)

 行法経で懺悔の修行をしていく以上は、弥勒菩薩を青年部の守り本尊として修行をしていくということが、まさに昭和の現在は時であるのです。

 多くの若者が立派な心がけをもって周囲の人を導き、真剣に働きかけていくようになれば、さまざまな境遇で不満を抱いて道を踏み外してしまう子たちも少なくなることでしょう。

 久保恩師は、「霊友会は先祖の供養で、目に見えないところに向かって修行をする。人によっては理解されず、喜ばれないこともあるだろうが、懺悔して自分が変わると先祖が満足され、やがては現実の関係にも変化が生じてくる。まわりから『なるほど』と言われるような努力を積まなければならない」とおっしゃっていました。

 青年部の修行は、前途には非常に困難なこともあるでしょうが、みなさんが異体同心となられて、本当に一心になって修行ができると良いと願っています。(8月号)

 昭和39年(1964)11月8日に竣成(しゅんせい)した弥勒山は、翌年から青年部の修行が始まり、毎年、数万人が参加。初めて参加した青年も、同世代の真剣な姿に感動し、次の弥勒山には2人、3人と友達を連れて参加する。そのようにして、ともに世界平和のために行動していこうという仲間の輪が広がっていったのです。


昔の弥勒山修行の1コマ(拝殿でのグループミーティング)。日常の中では出会えない仲間とのふれあいが新たな発見と感動を生む