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特別企画 青年部創立70年 弥勒山建立60年 恩師小谷喜美先生の思いを現代に-

2024.6.1

小谷恩師はなぜ、弥勒菩薩を祀(まつ)られたのか②

 どのようにして次代を担う青少年を育て、国家社会に貢献していくか―。久保恩師との約束を果たすべく、「昭和の戒壇(かいだん)」(お釈迦さまの教えを日常に生かしていくことを誓う場所)として「青年の修練道場―弥勒山」を建立された小谷恩師。弥勒山建立に向けて修行される中で、行法経の中のある箇所に着目され、みんなが行法経を身をもって修行するために弥勒菩薩を祀ることを決意されたと、紹介しました。

 「行法経を身をもって修行する」とは、多くの人との関りの中で自分の足りないところに気づいて、心と行いを改めていく「懺悔(さんげ)の修行」を実践すること。久保・小谷両恩師は、その行いを一人でも多くの人に実践してもらうことで、世の中を良くし、世界の平和を実現していくことを目指されたのです。

 行法経の中の「ある箇所」について、小谷恩師は、『明法』昭和35年(1960)7月号の中で、「當來(とうらい)の彌勒(みろく)、願(ねが)わくは我(われ)に法(ほう)を授(さず)けたまえ」という一節を挙げられています。これは、修行者が世のため人のために菩薩として働くことを誓願し、お釈迦さまの教えの根本を伝える指導者としての役割を担う弥勒菩薩に、修行の作法の教えを乞う場面。小谷恩師はここに着目され、私たち会員一人ひとりが在家の修行者としての決定(けつじょう)を固め、下山後の活動を弥勒菩薩に誓願する場として、弥勒山を建立されたのです。


昭和39 年(196411月8日に行われた弥勒山竣成式。弥勒堂内で、弥勒菩薩に祈念される小谷恩師。
竣成式には、全国から会員の代表約5,000人が参列した

 そして、そのような弥勒山での修行について、『明法』昭和34年(1959)5月号の中で、小谷恩師は次のように話されています。

 ◇

 大勢の人がこのご先祖ご供養の教えを生かしていけるようにというわけですから、決して難しいことではなくして、どなたでもできることなのです。

 仲間の体験談を聞いて、朝寝坊をする人がそんな自分を直そうと思ったり、親の言うことを聞かなかった人たちが反省したり、修行という「行」は、大勢でやったなら生きていくと思います。

 みんなが社会に目を向け、人のためを思える心をもつようになって、自分たちの毎日の生活の中に、先祖供養の教えを生かしていってもらいたいと思います。