• TOP>
  • ボランティア一覧

REIYUKAIボランティア

REIYUKAI
ボランティア

2021.9.1

お父さんと呼んでいいの? ―里親という家族のかたち

 さまざまな理由で保護者のもとで暮らせなくなった子どもたち約45,000 人のうち、約39,000 人が児童養護施設や乳児院で暮らしており、里親家庭で暮らしている子どもたちは約6,000 人です。これはOECD 諸国の中で最低の水準となっています。日本の里親家庭の数は、まだまだ不足しています。

 里親として児童養護施設の子どもを受け入れた経験を持つ森博文さん。里親になろうと思ったきっかけや、子どもと向き合う中で感じたことを聞きました。

子どもたちの幸せって何だろう?

 私は幼いころに父親を亡くし、母親は保育士をしながら、私たち兄弟3人を育ててくれました。母の影響もあり、短大では幼児教育を専攻し、卒業後に幼稚園の教諭として就職をしたのです。

 私にとって、養護施設から園に通う子どもたちとの出会いが、児童福祉の重要性を考えるきっかけになったのです。


森 博文さん (56歳)・京都府

 森さんの勤めていた幼稚園は、一般家庭の子どもたちのほかに、さまざまな事情で子どもを育てることのできない家庭の乳児や幼児を預かる乳児院や、乳児を除く原則18歳までの子どもが対象の児童養護施設の子どもたちを受け入れていた。

 養護施設に入所していたある子どもの母親は、軽い知的障がいのある方でした。父親は分からず、その子を一人で産む決心をして出産したそうです。しかし、母乳を飲ませたり、おむつを代えたりすることがうまくできず、親戚が気づいたときには子どもは栄養失調で危険な状態。養育は難しいとの判断から乳児院で預かることになったとのことでした。
 また、養護施設の子どもたちの大半は、親からの虐待が入所の理由でした。ある一人の子は、泣くとうるさいというだけで、背中にたばこの火を押し付けられ、火傷の跡が多数ありました。
 こんな仕打ちを受けるくらいなら、家庭で暮らすより施設で生活するほうが、子どもたちにはどんなに幸せなことかと思っていたのですが…。
 ある日、虐待を受けていた子の一人が、「お正月になったら家に帰れるのが楽しみなんだ。お父さんに会えるから!」と話すのです。どんなに虐待を受けていても子どもにとって親は親。その子の言葉を聞いたときに胸が痛くなり、そして、とてもいたたまれない気持ちになりました。
 それでも、いつか帰れる家がある子はまだいいのです。養護施設の玄関に放置され親が分からない子や、帰る家のない子どもは、「正月になったら家に帰れる」という仲間の話題にすら入れません。そして、家庭の温もりを知らずに、18歳になってしまえば施設を出ていかなくてはならないのです。
 世間には子どもの欲しい夫婦が大勢いるのに、なぜ温かい家庭に恵まれない子どもたちが後を絶たないのかと、憤りを感じました。いつしか、そういう子どもたちに何か自分にできることはないのかと考えるようになっていったんです。

血のつながらない子を、我が子同様に育む

 森さんは34歳で人生の大きな転機を迎える。それまで様々な子どもたちの力になりたいとスキルアップを目指していた。ある時、大学で障がいのある人たちのセラピーをされている先生が主催する、「休日余暇支援」のボランティア協力のチャンスがあり、福祉の勉強を始めた。
 この頃、勤めていた幼稚園の園長が新たに福祉施設の理事長に就任することになり、森さんに施設職員として白羽の矢がたち、その福祉施設(現在の職場)に転職することになる。
 そして、幼稚園、福祉施設とさまざまな子どもたちと接してきた実感から、親の愛情や家庭を知らない子どもたちのために、里親になることを真剣に考えるようになった。
 元幼稚園の教諭でもある妻の慶子さん(57歳)に相談すると、里親の提案に賛成してくれた。子どもたち3人が成長して手が離れたら、夫婦で里親をしようと話し合いを重ねてきたという。

 長男、二男、長女と子どもが3人いるのですが、長女の大学入学が決まったことで、いよいよ里親になるための行動に移りました。まずは児童相談所で詳しい話を聞き、研修を受け、里親の登録を済ませました。
 子どもたちには、ある程度の準備ができてから、里親をする意思を伝えました。上の2人は、「好きにやったらいいよ」と賛成してくれたのですが、娘はすぐに「うん」とは言ってくれませんでした。
 娘にもいろいろな思いがあり、複雑な気持ちだったんだと思います。親を取られてしまうような…。

 里親は夫婦二人だけではなく、子どもたちも含めて家族全員の理解と協力が必要だ。家族全員で何度も話し合い、やがて、長女も賛成してくれるようになった。
 そして、普段の週末を基本に、お正月やお盆、夏休みに数日から1週間程度、施設で暮らしている子どもを家に迎え入れ、家庭生活の体験を提供する週末里親から始めようと決めた。

家族全員の協力があって新たな家族を受け入れた

 今年で週末里親を始めて8年になります。預かった子は、当時小学4年生(9歳)の女の子でした。2歳のときから施設で育ってきたので、最初のうちは家庭に馴染むのが難しかったようです。
 例えば、お風呂にしても、「なんでこんなに小さいの?」から始まって、夕飯は夕方の6時きっかりに食べないといけないと思っている。団体生活と家庭生活のギャップに戸惑いがあったようです。
 そうかと思えば、施設では決まった昼食が出て、たとえ好き嫌いがあっても、自分一人だけ違うものを食べることなんてできませんよね。でも家庭っていうのは自分が好きな物を何でも食べさせてもらえると、本人は思っていたんです。
「好き嫌いはだめだよ」って言うんだけど、「森さんの家に行く日は、特別な料理を出してくれて、自分が食べたい分だけ出してくれたらいいんだ」と思っているんですよね。
 妻も同じ思いで、彼女の将来を考えて、家庭での日常生活のルールを教えようとしたのですが、その子にしてみたら、当たり前と思っていたことでも、これはダメ、あれはダメと言われる。当然反抗もしますから、週末里親といっても、けっして簡単なことではありませんでした。
 私は一人の子の人生を預かるんだから、自分の子どもと同等にしてあげたいとの思っていたので、この子にちゃんと育って欲しいと、つい肩入れしすぎてしまったんだと思います。

 それでも息子たちから自転車の乗り方を教えてもらったり、勉強をみてもらったりと、少しずつ家族にうちとけてきた。特に長女とは、よくおしゃべりをしていた。

 お泊まりの日の寝室は、最初は女の子同士で、娘の部屋がいいのかなと思ったのですが、必ず私たちの部屋に来るんです。おばちゃんはうるさいことを言うけど、それでも気軽にわがままを言える。親ってこんなもんなのかなと、なついてくれたんだと思います。「施設には帰りたくない」と言い出すこともありました。

 里親は18歳で終了する制度だが、森さんは、一生関わって励まし続けていこうと決心。彼女にもそう話していると言う。今年で18歳を迎える彼女だが、今では森さんを本当の親と思う気持ちにもなってきた。

血の繋がりが無くても温かな家庭を築ける

 彼女が幼いときには、「親なの?」「なんて呼べばいいの?」と聞かれたことがありました。私は「親でも、おじちゃんでも、森さんでも、なんでもいいよ」と言ってきました。彼女にとっては親じゃないけど親のようなものでいいのです。
 参観日や学校の行事にはすべて行かせてもらいました。彼女は友だちにはなんと紹介したらいいか分からないから、一緒にいるところは見られたくない。それでいて、友だちにはやっぱり、「お父さん、お母さん」と言ってみたりしていたようです。

 彼女もやがて、養護施設を出て一人で暮らすことになる。森さんは「何か悩んだり、困ったりしたらいつでも相談に乗るから訪ねてきなさい」と話している。帰る場所があるということは、どれだけ彼女の心の支えになっていることか。

 森さんは最後にこう話す。

 一人でも多くの人に里親という制度を知ってもらい、参加してもらいたい。そのためにも、「困っている子どもたちに何かしてあげたい」という気持ちを忘れずにこれからもみなさんに訴えていきます。

 本来、もっとも温かいはずの家庭で虐待が起き、もっとも深い絆である家族で、家族崩壊が起きてしまう現実。相手を思いやる気持ちがなければ、肉親といえども家族の求心力を失ってしまう。
 霊友会では先祖に合掌し、人を思い、かけがえのない家族の絆を育んでいく。その教えが今こそ、大勢の人に必要とされている時代ではないかと思う。
 一人でも多くの子どもたちの幸せを願い、誰もが幸せの基盤としての家族を築けるよう、私たちも人々に教えを伝えていきたい。


※妻の慶子さん、お孫さんと一緒にお宮参り